吉田 鋼市の

​第8回 ザ・ホテル青龍 京都清水

 統合などで閉校した公立小学校を保存しながら他の用途に転用する試みが京都で活発に行われている。これは歴史的な資産を街づくりや観光に生かそうとする京都市の基本的なスタンスに則るものであり、直接的には市の「学校跡地活用の推進」計画に基づくものであるが、さらにその底流には京都に特有の「番組小学校」の歴史と伝統が流れているせいもあるかもしれない。「番組小学校」というのは、公立小学校ができる前の明治の初期に地区(かつての町組に番号がつけられて番組と呼ぶようになったらしい)ごとに設置された学校のことである。学校の建設費用は、京都府の貸付金もあったようだが、基本的には各地区が負担したから、学校に対する思い入れは当然強くなるだろう。地区は上京と下京に分けられ、ともに33の番組が設けられ、二つの番組で一つの学校をつくったところもあったようで、結局64の番組小学校が誕生した。1869年のことであり、日本全国に公立の小学校が出そろう1875年に先立つこと6年である。

 その下京第二十七番の番組小学校はなんどか名前を変えながらも存続し、戦後は京都市立清水(きよみず)小学校となっていたが、その清水小学校を改装したのが、この「ザ・ホテル青龍 京都清水」である。今回リニューアルされた校舎は、清水尋常小学校時代の1933年に建てられたもので、設計は京都市営繕課、施工は西本組。2011年に廃校となったが、その活用を求めるプロポーザルが実施され、NTT都市開発による案が選ばれて実施、2020年3月に開業に至ったというわけである。リニューアルの基本設計は東急設計コンサルタント、デザイン監修が乃村工藝社A.N.D、実施設計は大林組で、施工も大林組である。なお、ホテルの名「青龍」は、京の都の東は青龍が守り、東にある清水寺には夜な夜な青龍が現われるという伝説にちなむもので、清水小学校はその名の通り、清水寺に近いところにある。また、このホテルの運用はプリンスホテルであり、この「ザ・ホテル青龍 京都清水」もプリンスホテルズ&リゾーツに属す。

 さて、そのリニューアルであるが、ほんの一部を残すというのではなく、非常に積極的に残す試みがされ、ほとんどすべてが活用されている。市の指導もあったろうし、もともとこの建物が、小学校には珍しくスペイン瓦を葺いたり、アーチ窓があったり、壁面に様々な装飾が施されていたり、軒下に変わった形の持ち送りがあったりで、ロマンに富むものであったこともあるだろう。それらロマンある造形細部がすべて巧みにホテルに取り込まれている。増築部分も黒っぽいシンプルなものにされており、既存の建物との対比と区別が明確に表現されている。内装は変えられているが、階段はそのまま保存されており、廊下も当初の雰囲気がうかがわれるようになっている。もとの広い講堂はレストランとなっており、格天井もそれとわかるような改装が施され、梁の端部もそのまま見せている。総じて、本格的で実に巧みなリニューアルと言えよう。

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西側外観。左側の黒っぽい部分が増築部分。

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フロントオフィス部分の外観。アプローチして右手に最初に見る建物がこれ。非常によく残されている。

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3階の新設された廊下。左側に既存の建物の壁面がそのまま見えるようになっている。

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客室の廊下。床の仕上げを除けば、梁も腰壁もよく残されている。

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レストランとなったかつての講堂。天井の格天井も同じ雰囲気で改装され、一部はそのまま残されている。

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西側中庭部分。正面の薄い庇のテラスは新設されたもの。

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東側外観。様々な壁面の装飾が見られる。

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同細部。スペイン瓦、木製と思われる持ち送り、銅製のクラシックな形をした樋が、 はっきりと見える。 

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階段。床のモザイクタイルは一部を除いて復元らしいが、かつてもこうであったかと思わせる感じがある。

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「ゲストラウンジ」と呼ばれる部分。かつての応接室ではなかったかと思われる部屋で、凝った梁の下端部が見られる。