8 モダニズム

 

 モダニズムとは、一般的に、二十世紀前半に確立された新しい形式を指す言葉として用いられているが、では、具体的にいかなる形式を言うのかと問うと、その答えは判然としない。

 それもそのはず、もともと「モダン」とは、単に「新しい」、「前の時代と違う」ということを言うもので、始めは「古代」、「中世」とは違うそれ以後の時代、すなわちルネサンス以降を差すものであったもので、後に、十五世紀、十六世紀、十七世紀が、ルネサンス、マニエリスム、バロック等々を定義されるに従って、順次後にずれてきたようなわけであるから、この言葉のみを探っても、その内容が出て来るわけがない。

 では、二十世紀始めに、主張された様々な観念にどのようなものがあったか。それを拾い上げてみると、「機能主義」、「抽象主義」、「純粋主義」、あるいは「表現主義」、「有機主義」、といろいろあって賑やかであるが、それ等から、共通の、あるいは、首尾一貫した形式を見出すことは、難しい。

 ではそれらのひとつひとつの主張を詳しく検討してみようとすると、それらは、決して新しい時代に特有なものではなく、古くから建築の特質であったもので、強いて新しさを求めるならば、「前の時代にはそれが欠除していた」と批判するその姿勢にすぎないことに気がつく。たとえば「機能」という概念をとり上げて考えてみるならば、何時の時代でも、機能を無視して建築が成立したためしはなく、十九世紀以前の様式を機能的でないとする批判は、せいぜい、以前とは違う方法あるいは形式をとるぞ、という態度表明以上のものではないのである。

 その他についても然り、「抽象(形)」、「純粋(形)」、についても、他の美術ジャンルと比べてみれば一目瞭然なように、建築は、ギリシャの昔、いや原始の昔から、それを基本に置かずして成立したことはなかったし、「表現主義」、「有機主義」が主張する「人間」、「自然」も、建築美術が成立するための基本の基本であって、それが前の時代に無かったという主張は、根拠の無い一方的批判にすぎない。

 事実、モダニズム建築は、歴史的様式とは異なるという一般的認識を確立はしたものの、様式言語として不可欠な形式体系、すなわちその要素と構成法の体系を確立するには至らなかった。モダニズムにおいては、様式教育の体系が、成立したこともなければ、試みられたこともなかったことが、そのことの明らかな証拠である。モダニズムの建築教育は勿論存在した。それ以前のボザール教育システムを駆逐して今日の世界を覆っている。しかしそれは、教育の目標と方法が存在しないために、今だに徒らに新奇さを求める姿勢としてのみ空しく繰り返されざるを得ないのである。

 二十世紀に入ってからの社会の変化が大きく、かつその変化の速度も刻々加速していったことも、モダニズムの様式としての成立を難かしくした。しかし、社会の変化を真剣に受けとめ、対応しようとする姿勢がモダニスト達の内にあったことは確かである。モダニスト達は、大真面目であったのだ。彼等の直面した課題は、大きくまとめると、建築の「工業化」と「都市の巨大化」であった。建築の様々な提案が、いずれも、このふたつのいずれか、あるいは双方に関わる提案であったことが、それを示している。

 しかし、このいずれの問題も、その中身は社会全般の複雑な諸問題と関わっているもので、建築の提案のみで扱いきれるものではない上に、その内容自体も激しく動いていき、提案は、コルビュジェの「シトロハン(工業化)住宅」の提案、あるいはライトの「ブロード・エーカー・シティ」計画案の如く、たちまち社会そのものに置き去りにされる運命にあった。

 従って、モダニズムのアバンギャルド達の前街的な諸提案は、錯走する問題の内からひとつを切り取って、強調し、極端な解答を示して、問題の所在のみをアッピールするということに終始せざるを得なかった。モダニズムの二十世紀社会のもうひとつの根本問題、「社会の大衆化」には、少なくともモダニズムのこの姿勢は、ある有効性を持ち得たのである。