4 伝統

 

 建築家は、伝統を意識せずに仕事をすることは難しい。それは、現代を意識せずに仕事をすることが難しいことに等しい。その意識のあり様、程度―意識しないという態度も含めてーはいろいろあるにせよ、伝統の問題から建築が離れられないのは、建築家が取り組む「生活」というものが、いやそもそも人間というものが、習慣、あるいは慣習のかたまりであるからだ。その慣習の内から選ばれ、統御され、時を越えて伝えられてきたものが伝統と呼ばれる。「トラディション(tradition)」の原意は、ラテン語で、運ぶ、配達すると言うことである。伝統と慣習は、連続的な概念だが、より自覚的で形式が整っているもの、が伝統と呼ばれる。私達の生活は、高度な美意識、倫理観から日常のしきたり、仕草まで、習慣を離れては存在しない。というより、それらは全て、合理的計算から導き出されたものではなく、習慣の中で、時と共に形成されてきたものだ。

 従って慣習とは、良いとか悪いとかいう前に、先ず私達と共に在るものなのだ。過去の重なりの中で作られてきた慣習に従って、守られ支えられて、私達は生きている。それ無しで生きるとすれば、生き物の本能によって生きるしか無く、それは人間ではなく、動物として生きるということに他ならない。一方、同時に慣習は、私達を縛り、規制する、窮屈なものでもある。そこから自由になりたいと思うのも人間の性である。無頼の徒、アウト・ロー、道化、そして今日ではある種の前衛芸術家達も、社会は必要としているのだ。しかし、彼等が、時に人々の注目を集め、喝采を集めることがあったとしても、社会の周縁、あるいは底辺に留めおかれる。なぜかと言えば人間は、時に慣習をうるさいと思っても、決して根底から廃棄しようなどとは思っていないからだ。

 慣習もそして伝統も場所によって異なり、時と共に変わっていく。建築の様式も、都市の形式も、時が移れば変化する。建築の歴史は、それの記述に他ならないが、変化の具体的な理由を大きく概括してみると、そこに挙げられているのは常に、ひとつには、技術の変化―新しい素材、構法、職人組織といった条件の変化―であり、もうひとつは、異なった伝統をもつ文化との接触―南方のラテン文化と北方ゲルマン文化との出会い、原始社会と近代社会の接触、東洋と西洋の交流等々―に大きくまとめることができる。具体例は枚挙にいとまがないが、歴史の記述とは複雑なレトリックを除いてみると簡明なものだ。

 しかし、伝統が、変化する、あるいは変化せざるを得ない、ことには、さらにもうひとつの、人間の本性にもとづく、本質的な理由がある。先の外的条件に対して、内的条件といってもいい。それは、人間自身が静止できない存在であるからだ。たとえ、好きだと思う良いものであっても、見続け、聴き続け、あるいは味わい続けると、感覚も感情も精神も鈍り、その良さが感じられなくなるからだ。牛が美味しい草をいつも同じように食べ、小鳥が好きな歌をいつも同じように歌うことは、悲しいかな、人間には出来ないのだ。自分に出来ないだけでない。

 

 人がそのように、同じことの無反省な繰り返しあるいは、伝統の権威の内に安住しているのに接すると、そこに人間としての生命力、活力の欠除欠落を感じてしまうのだ。人間が常に新しいものを求め、古いものを嫌うと誤解してはいけない。人は新しいものを求めるものではない。すでに述べたように、古いものから離れて人は生きられない。求められるのは、その古いものを見る、新しい見方なのである。人が静止できないと言ったのはそのことだ。人は絶えず、見直し、問い直せねばならない存在なのである。古いものは、廃棄されるのではなく、見直され、再生されるのである。

 歴史書も、読み返してみれば、革命、廃棄の歴史ではなく、復活、再生、継承の繰り返しでもあることに気付く。ルネサンスは、決して通俗的解説にあるように、中世の廃棄、拒絶などというものではない。それは単に、古典古代の復興のみでなく一三世紀ゴシックの継承でもあった。江戸末期の住居とその生活を調べ、追体験していると、私はそのあまりの閉塞感に息がつまり、明治の改革は、内側からも起こるべくして起こったとしか感じられない。人々は、しきたりに、制度に、そしてその暮らし方に、うんざりしていた。黒船が来航しなかったとしても、改変は起こるべくして起こったに違いない。従ってそれ故に、明治は、単に激しい西洋化だけではなく、深刻な日本の伝統の見直しでもあったのである。

 このように人間は、型なしでは生きていけないにもかかわらず、型にはまることを窮屈に思うやっかいな存在である。伝統を捨てては生きられないが、同時に絶えず新しくしないでは生きられない。伝統は、革新されるか保守されるか、といった単純な選択問題ではない。伝統とは常に保守される内において、革新されていくものなのだ。