吉田 鋼市の

​第7回 ダイビル本館  

 2013年2月という少し前の話になるが、大阪の中之島にあるダイビル本館が22階建ての高層ビルに建て替えられ、その下部に8階建ての旧ビルのファサードが復元された。旧ビルは1925年に、その名も「大阪ビルヂング」として建てられたもので、「大大阪時代」の大阪を代表するオフィスビルであった。当時の雑誌『土木建築工事画報』も「大阪市に於ける最新最大の建物」としてこの建物を詳細に紹介している。設計は渡辺節(『土木建築工事画報』は渡辺建築事務所ではなく渡辺節としている)で、施工は大林組。外観のスタイルも、『土木建築工事画報』によると「近世式」で、つまり今日で言うところの「近代式(モダン)」スタイルである。この建物の外観の形容としては「ネオ・ロマネスク」とされることが多い。たしかに、コーニスの下端や入り口の周囲にロンバルド帯を思わせる小アーチ列が見られ、的外れとも言えないが、窓は半円アーチの窓はなく、すべて矩形のものである。むしろサリヴァン風のアメリカのオフィスビルの影響を考えたほうがよいかもしれない。ともあれ、このビルの装飾的な細部とやや鋭角的になった印象的な丸い隅と、それに全体に張られた褐色のスクラッチタイルとが人々の記憶に強くとどまっていたということである。

 1989年に名前がダイビル(大阪ビルを約めたもの)と変わった後も使われ続けていたが、遂に建て替え。質からしても規模からしても時代を代表するオフィスビルであり、東京にもたくさんのビルをもつダイビル株式会社の発祥の地でもあり、それに日本建築学会などからの保存要望もあったが故か、旧ビルのファサードが復元されることになった。その復元を含む新築ビルの設計は日建設計、施工は旧ビルと同じ大林組。ちなみに大林組の大阪本店はこのビルにある。

 その復元であるが、解体の際の旧材の保存率が非常に高く、一見ファサード保存がされたかのように見える。外部の復元は、堂島川側の主ファサードと丸く鋭角に曲がる側面ファサードの2面、それに逆側の側面の一部に及ぶ。新築の高層棟はこの復元のファサードよりも後退させられており、高層棟と復元棟のスリットもあるので、復元部分の隅のほうから見ると高層棟が回転可能なビルのようにも感じられる。復元部分の重量感が大きく、高層棟が軽く見えてしまうためであろう。内部も1・2階の玄関部分とそれに連なる重要な部分は復元されており、入ってしばらくはかつての内部空間を偲ぶことができる。また、かつて8階にあった社交場「大ビル倶楽部」が、「ダイビルサロン”1923”」(1923は株式会社大阪ビルヂング創立の年)として復元され、開放されている。そこにはかつてのダイビル本館の重要な建築的細部も展示されており、1927年に竣工した東京・日比谷の「大阪ビルヂング」(設計は同じく渡辺建築事務所、後に日比谷ダイビル、1989年建て替え)の建築細部も展示されている。その細部というのが、それこそロマネスクなテラコッタの怪獣面で、これは建て替えられた日比谷ダイビルの公開空地にも展示されている。

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外観。左側が堂島川。右側の隅のみ鋭角に曲がって丸くなっている。

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主たるファサード。7階に中間的なコーニスが走り、1階と最上階と中間階を分けるという表現が見られる。

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右側面と裏面。側面から裏面への展開部もうまく処理されている。壁面の色の違いは日光のせい。

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左奥隅の部分。復元ではないが雰囲気の似た壁面の表現にされている。

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「ダイビルサロン”1923”」。人のいないところを撮ったが、訪れる人は少なくないように見える。

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丸くなったコーナー。それぞれの入り口の周りには装飾的な細部が見られる。

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主ファサードの左隅の部分。ここは1階が取り去られているが枠組みだけは復元されている。

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右奥隅の細部。いきなり裏面のファサードへと変えずに繋ぎの部分が工夫されている。

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主入り口を入った内部。ほぼ完全に復元されている。

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コーニスの現物が展示されている。