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9 古典主義

 

 近代における、建築についての様々な主義、主張の中で、古典主義ほど、社会的に広くまた歴史的に長く、その力を保ったものは他にない。いや、そもそも古典主義に対する姿勢なくしては、他のいかなる主張も成立し得なかったと言ってもいい。建築の様式について考察せんとする者にとっては、古典主義について理解の不可欠な所似である。

 建築における古典主義とは、一般的に言うなら、古代ギリシャ・ローマの様式を模範として、壮大で均整のとれた美しさを理想としたものを指す。十七、十八世紀のフランスとイギリスさらに十九世紀のドイツにおいて行われた建築が、その代表的なものとされるが、それに先立つ十五、十六世紀のイタリア・ルネサンス建築は古代ローマの様式の復興を目指したものであり、近くを見れば、十九世紀から二十世紀始めにかけて、西欧諸国家にならって近代化を成し遂げたアメリカは古代ローマの様式を国家の様式として追及した。

 首都ワシントンの建築だけではない。古典主義は広く公共の建築に及んだのであって、二十世紀の初めにニューヨークを訪れたル・コルビュジエをして、「ルネサンス以降、最良の古典主義建築はニューヨークにある。」と言わしめた程である。そのように見てみると、古典主義は、西欧とその延長にある国々において、五百年以上も力を発揮したことになる。

 通常、歴史の解説書等では、古典様式の堂々とした力強い表現が、権威・権力の表現に適しており、それが近代の国家帝国主義と結びついて力を得たという説明がなされる。そうした面は、勿論あるだろう。しかし、それだけでは、都市の一般住居から田舎の小さい教会、開拓地の貧しい農家にまで、古典主義が様々なかたちで用いられたことは説明できない。時代を超え、地域、社会層を超えて広く、様々なかたちで用いられ、様々なはたらきをしたところに、古典主義の面白さがある。なぜ古典主義は、それができたのか。

 古典主義においては、創作と並んで、常に理論があった。手と目を使う働きと並行して、いつも、頭と言葉を用いる努力があった。このふたつの働きが、共に重なりあい、ときに反発したりもしながら、その流れ全体の内部において、変化と多様性を創り出してきた。何が古典なのか、すなわち、何が依拠すべき正当なものなのか、それは外から与えられるものではない。自分達の中で、見つけ、確立せねばならないものなのである。さらにその上に、古典主義者達は、ただ自分達が良いと思うだけでは満足と考えず、更に多くの人が良いと考えられるように、十分に説明し、納得させられるものでなければならないと考えた。古典主義の源泉のひとつはここにある。

 十五世紀イタリアの建築家達は、身の回りに存在していた古代ローマの建築の面白さに「目覚めた」が、単にあれこれ模作することでは満足せず、考古学的研究を行い、それを組織的に行うアカデミアを設立した。古典古代の建築・美術を愛好し、それを教養の中心に置く伝統は、更に十七、十八世紀のフランス・イギリスで広がり、あるいは深まった。国家的には、権威ある研究・職能組織としてアカデミーが設立され、あるいは上流知識階級のサロンの話題に、建築の様式が取り上げられ、あるいは紳士たるものの条件にイタリア旅行での古典建築知識を不可欠とするといった習慣にまで展開することになる。建築についての知識、関心が、単にひとつの専門家集団のものではなく、広く一般のものとなったことの上に、古典主義建築は展開されたのである。

 古典様式は、わかり易く、使い易いものであった。言葉であれ、あるいは何かの道具であれ、広く用いられるためにはそうでなくてはならない。古典様式の基本をなすものは、「要素(エレメント)」と、「構成(コンポジション)」という考え方である。要素とは、建築の部分のかたちであり、言葉の単語に相当するもので、この単語が構文法、すなわち「構成」に従って組み立てられて、建築全体のかたちとなる。建築全体の調子、雰囲気は、たとえば、第一オーダー「ドリス式」は力強さを示し、第二オーダー「イオニア式」は優雅さを示すといったように、三つ(あるいは五つ)の「オーダー」として定められた。要素のかたちと、構成法は、この各オーダー毎に具体的に、正確な寸法と比例関係を定められた。定められた形式があると言っても、万古不変の、犯すべからざる聖典があったわけではない。

 

 建築家により、あるいは時代により、この形式は絶えず、改良され、洗練されていった。形式が洗練されていっただけでなく、その応用、すなわち条件への適応性、あるいは意味、すなわち表現の多様性は、深化、拡大されていき、その成果を後進に伝える体系、すなわち教育方法と制度、も整えられていった。西欧の近代を十七世紀から二十世紀に至るまで、支配し、建築家を育て、都市を建設してきたフランスのエコール・デ・ボザールの教育システムは、その代表である。

 

 古典主義の力は、古代ギリシャ・ローマの古典から生まれていることは、改めて言うまでもない。しかしその力は、単に与えられたものではない。育てられ、磨かれ、鍛え上げられて作られてきたものだ。古典とは、他から与えられるものではなく、自ら育て、作り出すものであることを、建築における古典主義は示している。

 では、古典とは何なのか。それは、過去に向き合う己の姿勢に他ならない。過去に、いかに向き合うか。しかしその問いが、真剣に問われることは、今日稀である。今日の歴史意識の衰退、批評精神の衰退は、そこに発している。

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