2 幾何形

 

 直線、円、そしてそこから生み出される様々なかたち。ここに建築を見る喜び、作る楽しさの根本がある。私はあえて、「幾何学形」と呼ばず、学の字を除いて「幾何形」と言いたい。なぜなら、私達の生きる世界の様々なかたちを、幾何形体によって見、そして理解し、そして又それを用いて作ることは、学である以前に、私達の根源的な目の動き、手のはたらきであるからだ。人間の初源の認識であり、創作のはじまりであるからだ。

 

 学はそこから派生したひとつの支脈にすぎない。「幾何。ジオメトリー(geometry)」とは、その言葉の示すとおり、大地を測定する業として始まった。人間が、森を離れて大河のほとりの沃野で畠を耕し始めた時に始まる。一本の縄とその両端の二本の棒。それをピンと張れば直線が引かれ、一本を固定してほかを動かせば円が生まれる。そして続いて、この道具だけから生み出される直角、平行線に始まる多様なかたちの体系。ユークリッド幾何学の世界は、常にこの初源のかたちの動きと輝きに満ちているが、この世界が、まさに建築のかたちの世界と重なっている。

 

 製図版の上の白い紙の上に、一本の直線を描く時、私は、春の洪水が引いた後の広い大地の上に、一本の直線を引く太古の人とその興奮を共にするのである。あるいはコンパスを取って円を描く時、中心に棒を立てて踊りの輪をつくる人々の歌を遠く遙かに聞くのである。

 自然にあるかたち、地形も、生物のかたちも、多様であり複雑極まりないものである。そのかたちの内に、直線、円、さらには球、立方体、円錐、円柱等々を見出した時、私達はそこに美を感ずる。そうした幾何形体で、私達の世界が整えられた時、私達は快感を感じる。それ故に、私達は、しばしば、幾何学は美しいと言い、幾何形体を造り出している数的原理、たとえば整数比例やプラトンの純粋立体といったもの、そのものを美と考えることがあるが、ではその原理にもとづいて実際のかたち、家具であれ、器であれ、建築であれ、を作ってみて、そこに美や快を感じるかというと決してそうはならない。なぜかというと、美は、幾何形体そのものにあるのではなく、複雑で多様な自然のうちにかくれていた幾何形体を見出した時にあるからだ。そしてその単純明快な幾何形体は、たちまちにして、複雑多様のうちに還っていく力を保っている場合にあったからだ。

 純粋形体(プリズム・ビュール)、抽象形体、最小形体(ミニマリズム)、等の作品が、はじめ面白くとも、たちまちに陳腐化し色あせるのは、それ故である。抽象が常に具体と共にあり、そこから出現し、そして再びそこに帰還する力を保持していない限り、死ぬのである。

 従って幾何とは、完成し硬化した形体ではなく、形体に向かう動きとして理解されねばならない。かたちをとらえ、かたちを考え、かたちをつくり出すはたらきが、幾何の面白さであり、楽しさなのだ。

 従って幾何術(幾何学)は、建築を見る時の、そして作る時の、あらゆる段階で、空間の輪郭を決定し、その構成の細部を工夫し、あるいはその表面を考案したりする様々な場面で、その力を発揮する。石工が石を刻む時、大工が木を彫る時、幾何術は常に共に在る。幾何学が、中世の七学芸のひとつとされていた理由は、若者の知性、想像力、そして美的感覚を育てるために幾何学の学習が有効だったことであるが、同時に、社会の指導者たるべき人の教養として欠かせない建築に対する素養の基本がここにあると考えられていたことにもよる。

 戦前の旧制の高等学校において、また戦後の大学の教養課程において、理科系のカリキュラムに図学がおかれていたことは、とても意味あることであった。コンパスとT定木のみを用いて、作図し、様々な図形の重合や相貫、転換によって生まれる新しい図形を見出す技法は、建築だけでなく、あらゆる工作物や機械の設計者が、その意図を施行者、製作者に正確に伝えるための必要不可欠な技法であったが、なによりも先ず、かたちを見、そして想像する力を蓄えるための修練として、大きな意味を持っていたのである。

 1970年代、図形を描いて考える幾何学的図学は古くさい前時代的なものとみなされ、それに代って座標と数値計算による代数的図学が登場したが、それはたちまちにしてコンピューターの圧倒的支配へとつながっていった。それでは、いけない。私達は幾何によって、感性を豊かにし、想像力を育てることを忘れてはいけない。一七世紀末、デカルトの数学、哲学の圧倒的支配にひとり抗して立ち、幾何学の必要性、重要性を語った孤高の哲学者、ヴィーゴの声が、今、新たな意味を持って大きく響くのである。