吉田 鋼市の

​第4回 旧・横浜生糸検査所倉庫「北仲ブリック」

横浜関内を東西方向(より正確には東南から西北)に走るメインストリート本町通りと平行する一本北側の通りが北仲通り、南側の通りが南仲通りであるが、それらの西の終点は横浜の鎮守社たる弁天社があったところで、その地には昔から重要な施設が置かれてきた。関東大震災後にそこに移されたのが1896年設立の生糸検査所で、その造営は庁舎、同形同大の4棟の倉庫、倉庫事務所等からなる震災復興期横浜で最大の事業であった。いずれも鉄筋コンクリート造の諸施設の竣工は1926年で、柱型の部分に煉瓦が張ってあるのが大きな造形的特徴であった。この煉瓦は煉瓦タイルではなく本物の煉瓦でコンクリートの型枠としても使われた模様。設計は遠藤於菟、施工は大林組。その後、1990年に庁舎が横浜第2合同庁舎となる際に、庁舎と倉庫1棟が解体されたが、高層となった合同庁舎の下部にかつての庁舎のファサードが復元され、横浜市認定歴史的建造物となった。2008年、さらに倉庫2棟が解体。倉庫1棟のみと倉庫事務所が残され、倉庫は横浜市認定歴史的建造物、倉庫事務所は横浜市指定文化財となっていた。

歴史的にも枢要な地であるこの生糸検査所跡地の再開発は懸案の事項であったが、「ザ・タワー横浜北仲」と名付けられた58階建てのタワーマンション兼宿泊施設を中心とした施設となって一応の決着を見て、2020年6月にオープンした。事業主が三井不動産と丸紅で、設計・施工が鹿島建設。残されていた1棟の倉庫は、曳家も検討されたが、結局、特徴ある部材を再利用しつつ復元という結果になった。復元された倉庫の東側のファサードには既存の倉庫の煉瓦が再利用されているし、西側のファサードの地下階のドライエリアがガラス床越しに見られ、また保存された重要な建築部材と装飾部材が倉庫の庫室の地下に展示されており、同じくガラス床越しに見られるようになっている。復元された倉庫には、店舗やオフィスが入っているが、目玉はライブレストラン「ビルボードライブ横浜」らしい。倉庫事務所のほうは、内部が改装されてシェアオフィスとして使われている。そして、この復元された倉庫と倉庫事務所は、煉瓦(ブリック)に因んで「北仲ブリック」と名付けられている。さらに、「ザ・タワー横浜北仲」の低層部のファサード3面に、かつては4棟あった隣接する倉庫のファサードが同じ位置で復元されており、当初の倉庫の間隔がわかるようになっている。往時は、この倉庫間の頂部に3基のクレーンがかかるダイナミックな空間が存在していたのだが、それが少しは想像できるスペースとなっている。またこの地区の各時期の古い護岸も保存されている。

 生糸検査所の庁舎の解体からちょうど30年。復元された庁舎のファサードもすでにいくらか歴史的ものとなってきている。この地区の再開発の経緯は、保存から言えば苦闘(厳しく敗北という人もいるかもしれない)の歴史であるが、その30年の間には景気も変わるし人も変わる。このかつての生糸検査所の雄姿をなんとか偲び得る姿は、また業者や役所など関わった多くの人々の尽力の歴史の跡でもある。

1-1.jpg

アプローチ部分。右側が復元された倉庫。高層ビルの下部にも倉庫のファサードが復元されている。

3-1.jpg

横浜第2合同庁舎の低層部ファサード。生糸検査所の庁舎が復元されている。

5-1.jpg

復元された倉庫の東側外観。煉瓦はすべてかつての倉庫の煉瓦が使われている。

7-1.jpg

倉庫館の空間。倉庫館の距離はかつてと同じ。左が復元された倉庫。右が高層棟の下部に復元されたファサード 。

9-1.jpg

倉庫庫室の地下に保存展示されたかつての特徴ある細部部材。

2-1.jpg

左が「ザ・タワー横浜北仲」、右が横浜第2合同庁舎で、その下部に生糸検査所の庁舎のファサードが復元されている。

4-1.jpg

右の奥に復元された倉庫棟、左が倉庫事務所。

6-1.jpg

倉庫東側の細部。古びた煉瓦の微妙な色合いが目を引く。

8-1.jpg

倉庫西側のドライエリアが見られるようになっている。

10-1.jpg

倉庫庫室の内部の柱。逆円錐形に張り出す柱頭が特徴。柱高は各階で異なっており、上階へいくほど高くなっている。