11 折衷主義
異なる歴史的様式を組み合わせる、あるいは混ぜあわせ複合する設計態度を指し、これまでの一般的な現代建築の論議においては否定的なむしろ侮蔑的な意味あいで用いられてきた。様式折衷の作品とは、創造性に欠けた凡庸なものであり、折衷案といえば、主体性の欠除した妥協の産物とするのがその典型的な見方である。確かに、日本の文明開化期の「和洋折衷」建築、あるいは十九世紀イギリス帝国の「オリエンタリズム」たとえば―古典様式とインドムガール風を組み合わせたもの等―には、共通にどこか、珍妙で落ち着きの悪いところがある。珍妙とは、私達の親しんだ形式と通じてはいるが、同時に、はずれてもいるということなのだ。しかし、折衷とは、常に安易で、怠惰で、珍妙なものなのか。
広く考えてみれば、文明が伝播し、異なる様式が接触した時に、常に相互の混合、複合がおこる。それは新しい文明、あるいは様式を生んでいく過程においては、どこにおいても常にみられることだ。ローマのアーチ壁の表面に、ギリシャのオーダーが貼り付けられることで、古典ローマ様式は成立した。チューダー様式の表面に、イタリアルネサンスの刳り形が取り付けられたことから、イギリスのジョージアン様式が生まれ、さらにルネサンスの華が開いた。こんな例を捨い上げる必要は、今更あるまい。全歴史が、いってみれば、影響の歴史、複合の歴史に他ならない。
そもそも、個人の思考の内側をのぞいてみれば、異なる考えを取捨し、その中から最も適切な選択を行うことは、あたり前のことで、判断なるものの基本でもある。折衷の語源を調べてみれば、まさにその通りで、「折衷学派」とは江戸中期の儒学者の中で、特定の一派に偏せず、とらわれず、独自に判断しようとした人々を指した言葉で、これを、西洋の「エクレクティシズム」(eclecticism)」の訳語にあてたのは、極めて正確であった。
エクレクティシズムの語源であるギリシャ語のエクレクティコスとは選択するという言葉で、特定学派に偏せず、広く学説を検討し、独自の判断を行える人を呼ぶようになったので、古代ローマにおいても、あるいは十九世紀フランス・イギリスにおいても、それはむしろ、独自で個性的な姿勢を意味していた。なぜ、折衷が、珍妙・安易・あるいは怠惰とみなされるようになったのか。なぜ、そのような見方が、二十世紀に入って一般化したのか。考えてみるべきは、そこにある。
モダニズムの基本にあった、歴史的様式への反感と、純粋形態、抽象形態への志向が、様式折衷を拒否する直接の原因であったことは誰でも安易に理解できる。しかし、更にその状況は、さかのぼって、十八世紀の合理主義、あるいは原理還元の姿勢につながってもいる。広く様々な意見を参照したり、判断を比較検討すること自体が、不純であり怠惰だとする考え方の根は決して浅くはないのだ。
芸術家の姿勢、あるいは創作態度は、純粋で、非妥協的でなくてはならないという、芸術至上主義がつくり出した観念、あるいは天才の概念も、そこにつながっている。芸術家は極端(エクストリーム)であり、偏執狂(モノマニアック・パラノイアック)だというイメージもそこに発する。
あるいは転じて、日本の伝統的美学の内にある「いさぎよさ」「頑固一徹」といった美学も、ここに共通する一面がある。折衷という語そのものが、われわれにとって否定的な響きをもつ遠因ともいえよう。十九世紀イギリスのエクレクティシズムが、建築家も、クライアントも含め、社会全体に良き趣味と、それを判ずる広い温和な教養を前提にしていた美的姿勢として尊重された状況とは、正反対なのである。
さらに、もうひとつひるがえって、今日の建築を見るに、モダニズム自体は、一世紀の展開を経て、百花繚乱、多様な意匠の雑多な組み合わせの状況にあるのではないか。そこに怠惰と安易があふれてはいないか。あるいは歴史的様式が付されていれば、すぐに遺産だ保存だを叫ぶ姿勢こそ、安易な歴史主義ではないか。そういうことを改めて考えさせるのが、折衷主義の今日的意味である。