吉田 鋼市の

​第14回 旧・富岡製糸場西置繭所

 世界遺産である旧・富岡製糸場の西置繭所が保存修理され、2020年10月にオープンした。5年におよぶ調査・研究・工事の成果である。保存修理の設計は文化財建造物保存技術協会で、施工は竹中工務店とタルヤ建設。富岡製糸場の創建は1872年。同年に竣工した西置繭所は木骨煉瓦造2階建てで、100メートル以上もの長さをもつ巨大な倉庫である。設計はE・A・バスチヤンで、施工は大蔵省直営。富岡製糸場は官営の工場として建てられたが、間もなく民間に払い下げられ、ほぼ昭和期以降は片岡富岡製糸所としてあった。1987年に操業停止。2006年に国指定史跡となり、すべての施設が富岡市に寄贈され、2006年に土地も購入され、9件の建物が国指定重要文化財となり、2014年に世界遺産となり、同年に重要文化財のうちの東置繭所と西置繭所と繰糸所の3棟が国宝になるという歴史を経る。

 もっぱら国宝や重要文化財の保存修理を担ってきた専門家集団である文化財建造物保存技術協会は、学術的で正統的な保存修理を実施してきており、通常の保存活用工事とは別次元の仕事をしているとみなされてきた。もちろん、耐震補強の問題とか、各時代の歴史的積層のどれを優先させるかなどの議論はあったであろうが、まずは誰もが納得する解決が図れてきたであろう。しかし、最近増えてきた近現代の重要文化財は使われ続けられることが多いし、世界遺産も観光に積極的に対応するべきだという考えも増し、文化財に対する凍結保存的な考え方も変わりつつある。根本的に保存とはなにかを考えるよい機会ではあるが、逆にかなり難しい選択を迫られていることにもなる。

 そうした状況を背景にした新たな国宝の保存修理活用というべき例が、この西置繭所で、ここには、従来の国宝や重要文化財の修理には見られない斬新かつ大胆な提案と手法が見られる。トラスの小屋組が露出した2階の修理は、基本的には従来のオーソドックスな方法が使われているが、1階には屋内に大きなガラスの箱が組み込まれているのである。そこにはモダンなトイレも新設されており、それに今日的でしゃれたエレベーターも新設されている。既設の階段はあることはあるが、人一人がかろうじて通れる程度の狭い幅だし、リフトも人の重量には耐えられない程度のものだという。このガラスの箱には耐震補強材としての役割も託されており、時間を経て傷んだ部材の離れたカバーでもあり、あるいは訪問者の檻のようなものでもある。つまりこのガラスの箱を通して、過度に手が入れられず剥き出しになった内部の細部や施工の細部を見ることができるようになっているのだが、逆にその部分に近づけないということでもある。ちなみに、そこに示された内部の状態は、この製糸場が最盛期だった1974年ごろの姿が保存されているという。文化財建造物保存技術協会の仕事としては、もう30年近く前のことになるが、旧・山形県会議場の修理にフライングバットレスを思わせる鉄骨の突っ支い棒が使われて驚いたことがあるが、今回は新たな方法をよりスマートに示したということであろう。保存修理も特殊な建設工事ではなくなったし、どんな建築の仕事も、保存活用と関わらざるを得ないといういまの状況を示してもいる。

 末尾に微笑ましい話題を一つ。今回の修理で俳句が墨書された木片が発見され、それが展示されている。建築職人が書いたのであろうが、その句は「鶯の声にはれしかにわか雨」である。 

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西置繭所全景。長さ104.4m、幅12.3m、高さ14.8m、建築面積1486.6㎡

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正面(東面)外観。樋が新しい以外はかつての姿がそのまま残されているように見える。

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正面の煉瓦敷きの犬走りも、自然な姿で不揃いなままにされている。ただしここは通れない。

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真ん中を通る一列の柱は、コンクリート柱のように見えるが、当初からのもので木製の柱。

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支持材と既存の壁との接点部分。梁の下端も下地材がそのまま見えるようになっている。

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2階のトラス小屋組。2階は従来の保存に近いが、照明や展示方法は1階に似ている。

1階内部のガラスの箱と、それを支える金属の支持材。一部にチタンが使われているという。

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柱と梁のジョイント部分。照明のやり方が特徴的で、臨場感を高める。

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ガラスの箱(左側)と壁(右側)の間の部分。ここには近づけない。

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新設されたエレベーター。東置繭所はいかにも無骨な外階段だったが、これはなんともスマート。