1 空間

 

 建築は、空間による造形芸術である、とは広く用いられる説明である。たしかに、空間を作ることは、建築の基本的目的である。また表現の基本的な手段でもある。絵画は、平画による芸術であり、彫刻は立体による芸術である、と並べて説明されると、なるほどとわかったような気になるが、しかし、絵画における平面とは、たとえばキャンバスであり壁面であり、彫刻における立体とは、たとえば石塊であり柱頭であると理解できたとして、それでは、建築における空間とは、何なのかを問われると答はそう簡単ではない。壁と壁の間に空間があり、自分のまわりに空間が広がっていることは、誰でもはっきり感じていることではあるが、その空間なるものを、紙や石のように手で触ったり、取り出したりすることはできないのだ。一体、空間とは何ものなのか。空間とは、何らかの実体であるのか、それとも、ただ何も無い、すなわち空虚ということなのか。

 いや、ただの空虚ということではないことは誰でもそれなりに感じている。屋根の下に坐っているのと、果てしない大空の下に坐っているのとは、はっきり違う。四方開け放たれた粗末な屋根であろうとも、その下の空間は、野原の空の下の空間とは違う。ひとりぼっちで淋しくなった子供は、机の下にもぐりこむ。机の下の空間は、他の空間と同じでは

ないことを、子供ははっきり感じているからだ。様々な空間のあることは、子供でも大人でも、原始の人でも現代の人でも、皆はっきりわかっている。従って、今自分が望んでいること、行おうとしていることに、最も適切な空間を選び取り、あるいは作り出して人間は生きている。生きているとは、空間を選び取り出し、作り出すことでもある。いのちを失った瞬間に、そのことは必要なくなる。

 空間とは何なのか。誰でもわかっているようで、誰もはっきり説明できない。この不可思議なものは一体何なのか。太古の昔から、人は考えてきた。星空を見上げながら、あるいは洞窟の壁を見つめつつ、古代中国の思想家も考えた。古代ギリシャの哲学者は、言葉で説明しようとした。空間とは、完全な空虚に他ならないとデモクリトスが言えば、プラトンは、それは意味でもなければ仮象でもない、第三の存在を考えねばならないと主張し、アリストテレスは、物体どうしの関係のことだと論じた。こうした議論は、近代ドイツの哲学者の観念的思考の内に、精緻に展開され、今日の建築論の、ひとつの基盤となっている。

 空間について考えることは、存在についてあるいは人間について考えることに他ならない以上、絶えず私達の思考をかき立てるものであることは当然である。議論が晦渋になったからといって、無意味と断ずるつもりはないが、しかしあまりにも複雑な議論は、問題の生気を失わせ、行動への意欲を消失させる。

 空間一般の議論は哲学者に任せるとして、建築に関わる人間としては、建築の空間について考えるのがよい。建築に関わる人間の利点は、身体的経験あるいは、構築的経験に即して考え得るところにある。そしてそれは、まさに、子供の持つ空間感覚、原始の人の持つ空間認識に重なっている。

 そのような初源的な空間感覚、空間認識とは、素直に考えてみれば、建築空間とは、私自身のまわりに無限に広がって遠くに消えていく空間から、ある意味を持つように切り取られ囲いとられたもの、と捉えることができよう。では建築空間の意味、はたらき、とはどのようなものか。

 建築空間の第一の意味は、私達を雨風や危害から守るということにある。このことは、誰でも先ず思いあたる建築の意味で、建築は人間を保護する覆い、すなわちシェルターであるという説明になる。安全、効率、便利といったはたらきも、この第一の意味の内、あるいは、その延長として考えていいだろう。しかし建築の意味はそこに終わるとする ならば、建築は動物の巣と同じということになる。人間の建築は、それ以上のもうひとつの意味がある。

 建築の空間は人と人をつなぐものである。建築の内に、私は家族と共に住み、友人を招く。友人でないものは、内に入ることを拒まれる。共に内に居るものは、その空間によってそのつながりを強められる。そういうはたらきを持つものが、人間の住居であり、公共建築である。このはたらきを空間の社会性とまとめることもできよう。

 しかし、建築の空間には、このふたつの先に、もうひとつの、第三のはたらきがある。建築は、無限の空間から、内なるひとつの空間を囲いとり限定した上で、ふたたび、この無限の空間につながろうとする。内にある自分を、自分達を、空間によって確立した上で、それを越えたものとつながることによって、自分を、自分たちを、大きく、確認しようとするのだ。自分を越えた存在、それを人は天と呼んだり、神と名付けたりしてきた。宗教的な建築、あるいは宗教と呼ばれる以前の、原始の人々の建てた、不思議な建築物が、あるいは幼児のつくる小さな家が、人間の持つこの根源的な願望を示している。

「空間とは何か」という問いは、哲学者達にまかせておいていたほうがいい。建築にたずさわるものは「人はなぜ空間をつくるのか」「人はいかに空間をつくるのか」と問うべきである。そのような問い方からは、原始古代から幼児を含む様々な人間の営みの多様な様相が浮かび上がって来るし、建築を構築する生き生きとした具体的な行為が導き出せるであろう。