吉田 鋼市の

​第9回 立誠ガーデンヒューリック京都

 「ザ・ホテル青龍 京都清水」と同じく、閉校した京都市立の小学校をホテル中心の複合施設にリニューアルした例。もとの小学校は、一部が1927年に竣工し、翌1928年に全部ができあがった立誠小学校。鉄筋コンクリート造の小学校校舎としては京都最古の遺構とされている。設計は京都市営繕課で施工は直営か。この小学校ももともとは1869年に番組小学校として創立されたもので、当初は下京第六番小学校。1877年には立誠小学校と名を変えている。「立誠」の名は地名とは関係なく、論語からとられたという。1993年に閉校して、これもまた保存活用のプロポーザルに付され、ホテルを中心としてリニューアルされ、2020年7月にオープンしている。   

 そのプロポーザルに勝ったのがヒューリック株式会社、そしてこの施設の中心となるホテルがヒューリック傘下の「ザ・ゲートホテル 京都高瀬川」である。東京を中心に展開してきた「ザ・ゲートホテル」の京都進出の最初のもの。「立誠ガーデンヒューリック京都」は、この複合施設全体の名前で、低層部には様々な商店や施設が入っており、なんと地元自治会のスペースもある。プロポーザル決着後も定期的に自治会との協議があったとされており、番組小学校と地域との結びつけの強さがわかる。リニューアルの設計は竹中工務店で、施工は竹中工務店と地元の古瀬組のJV。

 「ザ・ゲートホテル 京都高瀬川」と名付けられている通り、この施設は高瀬川のほとりにあり、せせらぎの音が絶えない。アプローチも現在の校舎が建てられた際に架けられたであろう橋をわたって入る。そして、校舎で保存活用されているのはこの高瀬川に面する3階建ての部分のみで、主要部分を占める8階建ての建物はすべて新築されたものである。しかし、その新築された部分は、保存部分とほぼ同じデザインでつくられており、階数が多いことを除けば、一瞬校舎がそのまま保存されたかという印象も与える。2階と6階にコーニスが走っているし、本来7階までの建物に8階を増築したような表現もされている。まぎらわしいと言えなくもないが、歴史的な建物に増築する際の最も穏やかな手法でもある。すなわち、既存の建物に恭順に同様なスタイルでかつよりシンプルなものを付け加える方法である。この方法は、既存の建物に敬意を表してなんら自己主張をせず、まったく無性格でニュートラルなデザインなものを付加する方法や、新旧の区別をはっきりさせるために既存の建物とまったく違うものを挑戦的に付加する方法よりもオーソドックス。取り壊された部分が多いとはいえ、まずはよくできたリニューアルとしてよいかもしれない。

 それに、保存された部分の客室には、様々なアーティストとのコラボによるアート・スペースが組み込まれており、またこの棟には「自彊室」も保存されている。「自彊室」というのは礼儀作法を学ぶための床の間付きの和室の部屋で、この「自彊室」は60畳という広いスペースのものである。これも地域の住民の保存の要望が強かったが故に残されたという。

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正面(東側)外観。保存された部分で、正面を除けば比較的シンプルなデザイン。右隅に見えるのは高瀬川を開削した角倉了以翁の顕彰碑。左隅に橋の欄干が見える。

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高瀬川と橋と正面外観。橋も校舎の建設と同時に架けられたものと思われる。

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「立誠ひろば」と名付けられた芝の広場からの外観。右隅が保存部分で左が新築部分。

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保存部分と新築部分に設けられたパティオ。

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保存された棟の廊下。梁のハンチが造形的効果を生みだす。

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芝の広場から見た保存部分の外観(南側)。

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ホテルのエントランスロビー。左側が新築のホテル棟で、右側が保存された棟。

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60畳式の「自彊室」。正面中央に床の間、右に違い棚がある。

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保存された棟の客室の天井。ゴツゴツした梁が行き交う。

保存された棟の客室。奥に見えるのが、彫刻家と植栽家がつくったアート作品。