吉田 鋼市の

​第12回 ゆかしの杜

 2018年4月、かつての国立公衆衛生院の建物が保存改修され、東京都港区の施設「ゆかしの杜」となってオープンした。「ゆかしの杜」とは、港区立郷土歴史館を中心とし、子育てひろば、がん在宅緩和ケアセンター、区民協働スペースなどを併設した複合施設に付けられた名前である。当初は公衆衛生院として、1938年に建てられた。鉄骨鉄筋コンクリート造、6階建て、地下1階。設計は内田祥三でその補助者が土岐達人と長沼重、施工は大倉土木(現・大成建設)。1949年に国立公衆衛生院となり、長い間その名で知られていたが、2002年に国立公衆衛生院が他の組織と共に国立保健医療科学院となり、埼玉県和光市に移転する。そして2009年に、港区がその跡地と建物を取得し、耐震補強やバリアフリー化を伴う保存改修を行って「ゆかしの杜」となるに至ったということである。オープンの翌年の2019年にこの建物は港区の指定文化財となっている。

 この建物のスタイルは、ほぼ同時期に建てられた安田講堂などの東京大学の諸施設とよく似たいわゆる「内田ゴシック」であるが、大学も医療保険施設もそのスタートは修道院や教会であったから、そうした施設とゴシックがマッチしないわけではない。それに、同じ敷地内には少し前にすでに東大の伝染病研究所が建っていた。「本建築の敷地が伝染病研究所の敷地に比して低きと狭小なるとに鑑み建築法規の許容する範囲に於て出来得る限り高層のものとして其の外観を整へ、形式は二者殆んど同一のものとして設計せり」(『建築雑誌』1939年2月号)とあるから、公衆衛生院と伝染病研究所はほぼ同時期にワンセットとして建てられたことになる。ちなみに、「様式」の蘭にも「外壁に貼瓦及貼石を用ひ、色彩及手法共近接せる伝染病研究所建物と類似せる近世式とす」とある。「貼瓦」というのはスクラッチタイルとテラコッタを指しているものと思われ、「近世式」は近代式の意味。なお、伝染病研究所は現在、東京大学医科学研究所の1号館となって健在。 

 この建物、E字型の左右対称のプランで、両腕を広げて迎え入れるようにして建つ実に堂々とした佇まいである。規模も大きく、ディテールも豊かで、保存と改修双方をかなえる苦心もあったであろうから、保存改修事業には調査検討段階を含めるとかなり時間を要したようである。その保存改修の設計は日本設計、大成建設、香山壽夫建築研究所、JR東日本建築設計で、施工は大成建設。結果は上出来といってよく、第29回のベストリフォーム部門のBELCA賞を受賞している。耐震補強のブレースも単純一律にやるのではなく、ところどころ目立たないところに施されている。鋼板と強化ガラスを組み合わせたという格子状の耐震補強材も新しい試みとして用いられている。内部もかつての講堂、院長室、次長室、図書閲覧室、書庫、中央広間(現・中央ホール)など、非常によく保存されており、とりわけ、講堂は椅子などもすべて保存されていて、圧巻。この施設が研究機関であると同時に教育機関でもあったことをよく示している。唯一、気になったのは、表の目黒通りに近い側面から正面へと人々を導くデッキの通路のガラスフェンスの色がやけに目立つことである。 

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正面外観。右側に映っているのがデッキの通路のガラスフェンス。もっとも、夜はこのガラスフェンスがきれいらしい。

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外観細部。ゴシック風の垂直の柱形は、先端部分が修理されている。右側の壁はオリジナルのタイルが多く残されており、左側は取り換えられたタイルが多い感じ。

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中央ホール。シンボリックな内部空間。従来の手摺りよりも背の高いガラスのフェンスが新設されている。

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講堂。最近では、あまり使われていなかったのでもあろうか、きわめてよく保存されている。

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耐震補強の鉄骨ブレース。目立たないように白く塗られている場合もある。

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正面の玄関ポーチ。柱は円柱ではなく、角柱。柱頭は基本的にはゴシック風であるが、オーダー柱のヴァリエーション風でもある。

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同じく外壁細部。中央の部分に新しいタイルが多く見られるが、窓台のテラコッタはオリジナル。

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新設されたガラスのフェンスの取り付け方。少し内側に支柱を立てている。

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講堂の机と椅子と床。

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コミュニケーションルームの鋼板と強化ガラスを組み合わせた格子状の耐震補強。