吉田 鋼市の

​第10回 京都国際マンガミュージアム

 2006年11月の開館という少し古い話になるが、京都の市立小学校のリニューアルの最初期の例をもう一つ。現在、京都国際マンガミュージアムとなっている旧・龍池(たついけ)小学校である。この小学校も番組小学校の一つで、1869年に上京第二十五番小学校として創立を見た。1875年以降は地名に由来する龍池小学校という名で存続していたが、1995年に閉校。現存の建物は講堂棟が1928年、本館が1929年、北館が1937年の竣工で、いずれも昭和初期に建てられた建物である。設計は京都市営繕課で施工は不詳。実は、1931年竣工の明倫小学校(下京三番組小学校、1993年閉校)が2000年に京都芸術センターとなったさらに早い時期の小学校転用の例がもう一つあるのだが、これは用途こそ変わっているものの、建物については増改築のほとんどない理想的な保存ともいうべきもので、旧建物の賛美に終始するに違いないから、京都国際マンガミュージアムの例をとりあげることにした次第である。

 閉校後に校舎の活用を模索していた京都市に京都精華大学がマンガの研究所兼博物館を提案。京都精華大学は2000年に芸術学部にマンガ学科を創立し、マンガミュージアム開館と同じ年にそれをマンガ学部に発展させていたマンガ教育・研究の先駆的存在であった。京都市がその提案に応じ、京都市と京都精華大学の共同事業として京都国際マンガミュージアムが設立に至ったということである。このミュージアムの初代館長は養老孟司、いまの館長が荒俣宏という著名人であり、多くの来館者を得ているようだ。リニューアルの設計は類設計室で、施工は清水建設。そして、開館2年後の2008年に本館、北館、講堂棟、それにもともとの門と塀が国の登録文化財となっている。

 リニューアルで増改築されたのは、主として北館と本館の間の部分で、そこに鉄骨造ガラス張りのモダンなスペースが設けられ、そこがこのマンガミュージアムのハイライト空間となっている。それから、マンガミュージアムになる際に入り口を烏丸通り側に設けたので、そのエントランス部分が増改築されている。本来の入り口は反対側(西側)の両替町通りにあったが、より人通りの多い烏丸通り側に設けざるを得なかったのだろう。おそらくどの訪問者もこの本来の立派な玄関を見ないであろうことが残念。新たに設けられた烏丸通り側の門塀はタイル張りで華やか。当館のホームページの区分線のデザインもこれに似ているから、マンガにふさわしいのかもしれない。あるいは校舎の廊下のタイル張り床を反映させたか。

 その他の部分はよく保存されており、校長室、龍池歴史記念室など、マンガを知るためではなく旧・小学校を知るための部屋もきちんと保存されている。それに、本来の玄関には「龍池自治連合会」の表札も掛けられており、リニューアルに際して自治会も要望を出し資金も出したであろうことが推察される。また、かつての運動場の東南隅に記念碑「龍池校の記」も1995年に設置されている。

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外観。人工芝の部分がかつての運動場。ガラス張りの部分が主たる増改築部分。右手前は新設のカフェ。右下に「龍池校の記」碑が写っている。

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両替町通り側の本館の正面外観。奥の引っ込んだ部分が玄関。

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正面外観。典型的なアール・デコ。門扉の左側にある石碑には「此附近 二條殿址」とあり、このあたりが二条良基の屋敷だったことがわかる。

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増改築された主要部分。奥に「火の鳥」のオブジェが見える。

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北校舎の階段。床のタイルがホテル青龍(旧・青龍小学校)のものと少し似ている。

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新設された入り口の門塀。かなり派手。

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その上部の吊られた2階通路。中央に「火の鳥」。

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本館の階段室。よく保存されている。

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旧・講堂。ここがメイン・ギャラリー。奥が舞台。

旧・校長室。当時の「大時計」も保存されている。