吉田 鋼市の

​第11回 ミライザ大阪城

 「ミライザ大阪城」は、1931年に第四師団指令部庁舎として建てられた。この建設は大阪城公園整備事業の一環として行われたもので、同じ年に大阪城の天守も再建された。大阪城の城内は、明治以降、陸軍用地として使用され、古くは大阪鎮台が置かれ、後にその後身の第四師団が置かれたのである。鉄筋コンクリート造4階建てで、地下1階、設計は第四師団経理部で、施工は清水組。この建物は、戦後しばらくは大阪府警庁舎として用いられ、その後1960年から2001年まで長い間、大阪市立博物館として使われた。大阪市立博物館が移転して大阪歴史博物館となった後は、いくつかのイベント(森村泰昌の「なにものかへのレクイエム(MISHIMA,1970.11.25-2006.4.6)」の撮影にも使われた)以外には使われていなかったが、2017年10月に「ミライザ大阪城」となってリニューアル・オープンしたということになる。これは、レストランを中心とした施設で、屋上の「テラスダイニング」からは間近に大阪城が望み得る。なお「ミライザ」とは”MIRAIZA”とも書かれるが、ネーミングの説明によると「大阪の未来を担っていく場所」ということであるから、「未来座」の意味と解してよいであろう。

「ミライザ大阪城」誕生の経緯であるが、ずっと大阪市の直接の管理下にあった大阪城公園が、2015年に大阪城パークマネージメント株式会社が設立されて、その指定管理者下に置かれることになった。この会社は、株式会社電通関西支社、讀賣テレビ放送、大和ハウス工業大阪本店、大和リース、NTTファシリティーズを構成員として設立されたもので、「ミライザ大阪城」のみならず、大阪城公園全体の管理者である。その指定管理者のリニューアル案が、主としてレストラン、それに店舗や展示場を加えて使うものであった。リニューアルの設計・施工はこの指定管理者構成メンバーの一つ、大和ハウスである。

 この建物、車寄せが立派で、もともと軍の建物でもあり、その後も長く博物館だったということもあって、いかにも厳めしそうで防御的な感じがする。それに正面入り口上部の左右に付けられたタレット(隅に突出する小塔)の印象が強くて、城砦風な感じもする。しかしよく見ると、基本的にはモダンでシンプルな建物である。表面に張られた褐色のスクラッチタイルも暖かい感じがする。しかし、レストランというイメージはまったくなかったので、「ミライザ大阪城」になってから初めてこれに接近した時、軽快なジャズが建物内から聞こえてきて驚いた。 

 リニューアルによる外観の保存作業は非常にうまく行われていて、スチールのサッシをアルミに変えた以外は忠実な保存が行われているようである。一部にはスチールのサッシを残しているという。内部は「ミライザ大阪城」になる以前にすでに相当な改装がされているので、オリジナルと思しきものは少ないようであるが、階段室などはむしろオリジナルに近づけるように改修がされたという。もちろん、耐震補強は行われていて、一部に鉄骨のブレースが見られるようになっている。

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正面全景。やはり、いかにも厳めしい。

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背面の全景。タレットは背面の左右にもある。

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階段室。よくオリジナルの雰囲気を保っている。

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3階の廊下。梁下端の繰形など、よくオリジナルの意匠をとどめている。

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2階のレストランの内部。大梁と小梁が組み合わされている。

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正面中央部外観。パラペットの上端がクレネレーション(銃眼付き胸壁)になっている

ことも城砦風雰囲気を強くしている要因であろう。

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側面外観。ここにもタレットが見られる。1階部分が石張りであることがよくわかる。

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階段室。照明器具はオリジナルではないようであるが、創建当時の雰囲気を伝えるものとなっている。

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2階の廊下。3階よりもシンプル。

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1階の休憩スペースに見られる鉄骨ブレース。