吉田 鋼市の

​第16回 港区立伝統文化交流館

 かつての花街の建物が「港区立伝統文化交流館」となって蘇った。開館は2020年4月。当初は、芝浦花柳界の見番の建物として1936年に建てられたもので、手がけた棟梁は西伊豆出身の酒井久五郎(1898-1994)だとされている。かつての花街の建物で文化財や景観重要建築物になっている例はそれほど珍しいわけではないが、「港区立伝統文化交流館」のホームページには「都内に現存する唯一の木造見番建造物」とあるから、貴重な存在であることに変わりはない。よくぞ残されたものといってよいであろう。

 もっとも、この建物が見番として機能した期間はそれほど長くはなく、1944年に東京都の所有となり、戦後は「協働会館」という名の港湾労働者の宿泊所として使われたという。2000年に老朽化して閉鎖。取り壊しの予定が、保存を望む要望が起こり、2009年に所有者が都から港区に移り、同じ年に港区はこの建物を「旧協働会館」として区指定有形文化財として保存を決定。この建物の保存活用のプロポーザルが実施され、青木茂建築工房案が選ばれて工事が実施され、今日に至るというわけである。施工は中央建設。結局、この建物の履歴の大半は「協働会館」だったことになるが、この間も、この建物の「百畳敷」と呼ばれる大広間は、伝統芸能の稽古場として使われ続けたらしく、おそらくそれが保存に繋がったものと思われる。保存活用に際して、この建物は少し西側に曳家されているという。

 この建物は木造2階建てで、プランは奥の方が直角に曲がって延びており、L字型になっている。そして、このL字型に曲がった部分の1階が、この建物の歴史を示す展示室となっている。L字型に曲がった部分の前方には、隣家かもしくはこの建物の付属屋があったものと思われるが、保存活用に際して、この部分に、やはり2階建ての鉄筋コンクリート造の建物が増築され、トイレ、事務所等に供されている。その増築部のファサードには全面に木製の竪格子が密に配されて既存の建物との調和が図られている。

さて、この建物の意匠であるが、かつての見番の建物といっても、それほど華やかなわけではない。外観としては、正面の大きな唐破風と、2階の欄干が目立つぐらいで、唐破風は銭湯にだってある。しかし、内部はやはり違う。まず目を引くのが、窓やガラス戸の桟の隅に取り付けられた花狭間の装飾である。なにか、むずむずするような装飾であるが、たしかに華やかさを加えている。それから階段の親柱。その柱頭は擬宝珠である。  

 そして、内部の圧巻はやはり2階の今は「交流の間」と呼ばれている「百畳敷」で、天井は格天井。格天井の随所に保存活用の際に照明が付加されている。この柱無しの広い空間をスマートに耐震補強するのは大変だったと思われるが、なんと太い組子でできた厚い格子遣戸が付加されて、それが耐震補強の役割を果たしている。壁自体も少し厚くはされているようだが、随所に見られるこの格子は、あまり違和感もなく見た目にも大変頑丈そうである。あまりにも頑丈そうで時に牢屋の入り口を思わせもするが、中が抜けているので視線を通し、しかも内装の雰囲気も壊さず、これは出色の耐震補強材といってよい。補強材であるのみならず、新奇な意匠の内装ともなっているのである。

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正面外観。異様に大きな唐破風。左側がRC造の増築部分。

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側面外観。右側が増築部分。

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外観細部。2階の欄干の持ち送り。新旧の部材のコンビネーション。

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玄関土間。モザイクタイル敷きの土間もよく保存されている。奥に見えるのが階段。

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ガラス戸の装飾的組子と花狭間の装飾。あちこちに見られるので、むずむずする。

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頑丈そうな格子の補強材。ガラス戸にも背後の窓にも花狭間の装飾が見られる。

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「百畳敷」。奥が舞台。格天井の所々に照明が設けられている。舞台の右奥にも補強の格子が見られる。

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階段の親柱。柱頭は木製の擬宝珠。背後の窓の桟に花狭間の装飾が施されている。

「百畳敷」の隅にある補強の格子。後ろの窓もよく見える。

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側面のテラスに保存展示されている旧部材。床柱として使われていたものという。