吉田 鋼市の

​第19回 本庄レンガ倉庫

 埼玉県本庄市は、江戸時代には中山道最大の宿場町として栄え、近代以降は「繭と絹のまち」として発展してきた。明治以降、養蚕が盛んとなり、昭和初期の最盛期には畑の7割までが桑畑だったともされる。同時に製糸業も盛んとなり、周辺の繭の生産拠点地の集散地ともなった。現在、埼玉県道392号線となっている旧中山道沿いには今日もあちこちに漆喰塗りの土蔵を見ることができ、傷んで土壁が剥き出しになっているものも少なくないが、その繁栄ぶりを実感することができる。

 その本庄の栄華を最もよく示すのが、この本庄レンガ倉庫で、1896年に本庄商業銀行の煉瓦造2階建ての倉庫として建てられた。本庄商業銀行自体は、倉庫の竣工の2年前の1894年に創立を見た本庄町最初の銀行で、本店は現在この施設の駐車スペースとなっている場所に建てられた伝統的な和風の平家だったようだ。つまり、店舗よりも倉庫のほうが大事で立派だったことがわかる。座繰りによる人力主体の製糸業の機械化に応じて、資金が必要となった人に融資する銀行が設けられ、その融資の担保となった繭を保管する大切な倉庫だったわけである。倉庫の設計・施工は清水組で、設計担当者は清水釘吉(1867-1948)と岡本銺太郎(1867-1918)とされる。

 本庄商業銀行は1921年に武州銀行に併合され武州銀行本庄支店となり、さらに武州銀行が1943年に他の4行と合併して埼玉銀行となった際に、この煉瓦造倉庫は富士瓦斯紡績株式会社の所有となり、1958年には一時本庄市の所有となるが、翌1959年に粟豊株式会社の所有となり、さらに1977年にはローヤル洋菓子店の所有となり、店舗兼菓子工場として使われていた。しかし、2011年にその洋菓子店も遂に閉店。本庄市がこれを買い取り、保存活用を検討、2015年から改修工事に入り、2年後の2017年に本庄レンガ倉庫の名でオープンに至ったというわけである。その保存活用工事の設計は、福島加津也+富永祥子建築設計事務所で早稲田大学旧本庄商業銀行煉瓦倉庫保存・活用プロジェクトのチームが設計協力をしている。施工は、創建時と同じ清水建設。なお、この倉庫は洋菓子店時代の1997年に国の登録文化財となっており、修復後の2018年にはユネスコのアジア環太平洋文化遺産保全賞を受賞している。

 この倉庫は、間口8.5メートル、奥行き31メートルで、規模としてはそれほど大きいわけではないが、伝統的な土蔵が目立つ中ではやはり異彩を放っている。1、2階とも一室空間で、1階は主としてこの建物自体の歴史と技術を展示する空間として使われており、2階には2台のピアノが置いてあるからコンサートやイベントの会場として使われているようだ。改修は保存を優先して行われており、洋菓子店時代の改造部分も撤去したのみで、復元せずにそうとわかるようになっている。窓自体は新しいものになっているが、窓と一体となっている外側の鉄扉は保存され、内側の網戸も一部保存されている。構造補強法は、非常にスマートで、壁から少し離れて設けられたそれほど太くない8本の丸い鋼管が1、2階を貫いて立っており、それ以外の補強造材は内外とも見られない。

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正面外観。屋根は寄棟桟瓦葺き。その右側手前に本社があったものと思われる。

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外壁細部。新しいレンガが一部に挿入されているが、鉄扉の錆が強い存在感を示す。

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1階内部。左の窓に引き違いの網戸が保存されている。展示内容はこの建物の技術的や工夫に関するもの。

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2階内部。左右に構造補強のための黒に近い灰色の鋼管が立っている。これが全部で8本ある。

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このモルタル塗りの部分は、後の改造部分で、あえて煉瓦で復元せずに補修されているものと思われる。

店舗の内部。

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開口部。窓は変えられているが、鉄扉は健在で、上部の煉瓦アーチも下部の楣石(リンテル)も健在。

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後方に新設された付属棟。周囲に数多くある土蔵にならって自然な存在たらんとしたものと思われるが、もう少し開放的なほうがよかったかもしれない。

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新設された階段。これも余計なデザインがなく、シンプル。

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キングポストトラスによる木造の小屋組。

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新設されたエレベーター。
これもシンプル。