吉田 鋼市の

​第21回 岩手銀行赤レンガ館

 盛岡には、幕末から昭和初期にかけて建てられた「浜藤」という醸造業の町家と酒蔵を中心に近くの町家も移築して活用した「もりおか町家物語」という名の歴史的地区の観光スポットがある。オープンは2014年で、勇んで行ってみたのだが、保存というよりも活用が優先していて、活用としてはすぐれた例ということになるのであろうが、歴史的な建物が単なる雰囲気づくりに堕している気がしてここにとりあげるのをあきらめた。歴史的テーマパーク的なものと、もう少しシリアスな保存との差は紙一重であり、なかなかに難しい。

 そこで、やはり盛岡の近代建築の顔ともいうべき「岩手銀行赤レンガ館」を書くことにする。この名でのオープンは2016年であるが、1994年にすでに国の重要文化財に指定されており、重要文化財として保存修理されたということで、活用という点ではオーソドックスに過ぎるが、しかしやはり見るべきところはいくつもある。

 この建物の創建は1911年。盛岡銀行の本店としてであって、現在「もりおか啄木・賢治青春館」となっている旧・九十銀行本店の竣工が1年先駆ける。それでも、どこから見てもこちらのほうが本格的で、いわゆる辰野式の煉瓦造の明治建築である。設計も辰野・葛西事務所で、辰野金吾(1854-1919)との共同設計者、葛西萬司(1863-1942)は盛岡の出身である。葛西は1927年に盛岡貯蓄銀行(現・盛岡信用金庫本店)も設計しており、盛岡との縁は深い。施工は清水組のようだが、地元の大工、中沢善太郎が関わったとされている。

 この建物の変遷であるが、名前は変わりつつも、ずっと銀行であった。すなわち、1936年に岩手殖産銀行、1960年に岩手銀行本店、1983年に岩手銀行が本店を新築してからは岩手銀行中ノ橋支店、2012年に中ノ橋支店が閉店になってからも岩手銀行所有のままで保存改修され、2016年に「岩手銀行赤レンガ館」となって公開されるに至ったというわけである。所有者はいまも岩手銀行。保存改修の設計は文化財保存計画協会、施工は清水建設である。

 さて、この建物。時にイベントや展示会に使われているようであるが、通常はこの建物自体を見るための博物館的施設である。つまりは、ほぼがらんどうでゆったりとしている。保存修復も創建後の改修を取り除く方向で行われたようで、創建時の姿が浮かび出るようにされている。1階の金庫室の煉瓦造ヴォールト天井の上端が2階から見えるようにされ、1階のかつてあった間仕切りの基礎部分が見えるようにされており、建物の変遷が展示されている。あるいはまた、外観も、一時期白く塗られた外壁のあとを残すなどされている。耐震補強もされているのであろうが、表面的にはまったくわからない。伝統的な本来の文化財の保存修理に近い形である。しかも、一部は有料であるが、多くは無料でみることができ、たいへんありがたい。

 宮沢賢治が「岩手公園」という詩に、「弧光(アーク)燈(ライト)にめくるめき 羽虫の群のあつまりつ 川と銀行木のみどり まちはしづかにたそがるゝ」と綴った「銀行」はこの銀行であろうか。赤レンガの銀行は、賢治にとってアンビヴァレントな近代化のシンボルとしてあったのである。

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全体外観。煉瓦造2階建てであるが、隅にシンボリックな3階建てのドーム付きの塔屋を配している。

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側面外観細部。煉瓦は一部に新しいものも使われている。緑のシャッターは当初のものという。

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かつての客溜りの窓口から営業室のほうを見る。窓口の鉄細工のデザインはアール・ヌーヴォー風。

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階段の手摺り。これもまたアール・ヌーヴォー風。

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暖炉。これも典型的なアール・ヌーヴォー調で、クラシックな外観に対して、内部にはあちこちに新しい造形の試みの摂取が見られる。

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側面外観。外壁の白い部分は、かつて白く塗られた時があったことの痕跡。

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内部。構造補強に類するものが見た目にはわからない。

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営業室の隅部。回廊の手摺りは、現在は木製だが当初は鉄製で、戦時中の金属供出でなくなったという。

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階段の手摺り。一番はしのアーチ部分が新材になっているが、あえて彫り物を施していないものと思われる。

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1階の床下の基礎やかつての間仕切り後を見せているところ。