吉田 鋼市の

​第24回 半田赤レンガ建物

 知多半島の中心、半田の地にビールが製造され始めるは、半田村が半田町となるのと同じ年の1889年。日本人によるビール醸造の最初期のものの一つである。当初の銘柄は「丸三ビール」。その名はこの起業の中心人物、中埜家四代目の〇の中に三本線を描く家紋に因む。中埜家は19世紀初めから酢の醸造を行っており、その後身の一つが「ミツカン」で、「ミツカン」の商号もその家紋から派生した三本線の下に〇を加えたものである。また、中埜家の酒造業はいまも続いている。ともあれ、半田は江戸時代から酒・酢・味噌などの醸造業が発達した地であった。この地にビールが生まれたのも、三河湾の港湾の便に加えて、この歴史的な産業の伝統の故でもある。

 そして1898年に、「カブトビール」」(「加武登麦酒」とも書く)なる銘柄の新しいビールを製造し始めるが、その製造工場となったのが、この半田赤レンガ建物である。「カブト」  の名には日清戦争後の高揚感が込められているともされる。その煉瓦造の工場であるが、ドイツ人の技師がやってきて基本設計をしたらしいが、実施設計は妻木頼黄。彼の設計になる横浜の赤レンガ倉庫に先駆けること13年。基本的な構造や構法は、両者よく似ているが、2階の床を支えているのは横浜ではナマコ鉄板のアーチだが、ここは煉瓦のアーチ。それに、半田のほうがより頑丈そうでゴツイ感じはする。煉瓦造2階建て(一部は5階建て)に加えて、木骨煉瓦造平屋の付属棟もある。施工は清水組。創建時の後も、1908年、1918年、1921年に増築されている。

 半田赤レンガ建物でビールが醸造されたのは戦前までで、戦後は日本食品化工の工場・倉庫として使われてきた。1994年に、その工場・倉庫が閉鎖。1996年に半田市がこれを買い取り、その後構造調査・活用調査を経て、2014年から保存活用工事に入り、2015年に公開されるに至った。半田の人々が結成した社団法人「赤煉瓦倶楽部半田」の活動が保存活用の実現を大きく助けたとされる。保存活用工事の設計は安井建築設計事務所、施工は創建時と同じ清水建設と古くからある地元の施工会社七番組。リニューアル・オープンに至るまでに、2004年に国の登録文化財、2009年に近代化産業遺産、2014年に第一号の半田市指定景観重要建造物となっている。

 保存活用されたのは工場閉鎖にあったすべての建物ではないが、創建時の主棟を中心に、1908年から1921年にかけての増築棟を少し含んで主要なものは保存された。木骨煉瓦造の平屋も創建時のものである。それらが、カフェ、ビアホール(カブトビールの復刻版が飲める)、ショップ、クラブハウス、展示場などに用いられているが、2階は残念ながら使われていない。煉瓦壁への鉄筋の挿入、鉄筋コンクリート・鉄骨による開口部の補強、鉄筋コンクリートの床スラブの打ちかえ、木造小屋組の鉄骨ブレースによる補強、2階の壁にコンクリートの打ち増しなどの構造補強が行われているようだが、見た目にはあまりわからない。よく保存されており、外観の煉瓦の崩れたところなども残されている。驚いたのは1メートル近くもあるかと思われる外壁の厚さで、これは煉瓦の間に何層もの空気層を設けた壁の構造になっているためらしい。

全体外観。手前が木骨煉瓦造の部分。背後が煉瓦造の部分で、一部は5階まである。

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煉瓦壁面。I型鋼が壁面に露出している。2列のアーチに積んである部分もある。

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屋外に展示された鉄骨の柱の柱頭部。いちばん下の丸い所から柱につながるのであろう。

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内部の天井。煉瓦造の小アーチの列で2階を支えている。黒い金属フレームは展示ケースであるが、補強も兼ねているのもしれない。

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外観。5階まである部分。窓の楣石は多くが石だが、一部はコンクリートに取り換えられている。下に見えるフェンスは空調機等のカバー。

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新たに設けられた入り口の一つ。風除室のないシンプルでシャープな形。

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内壁に設けられたアーチの開口部。白いところはモルタルの補強部分。

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イベントスペースの非常に厚い壁。

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空気層の設けられた外壁の詳細。厚い壁の正体はこれか。

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2階にあがる階段。残念ながら、ここには近づけず、ガラス越しに暗い空間を撮った写真。