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吉田 鋼市

​第4回 牛久シャトー 神谷傳兵衛記念館

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 茨城県牛久市にあるかつてのワイン醸造施設が保存修理され、記念館やレストランとなり、新たにミュージアムやショップも設けられ、醸造場一帯がありがたくも無料のミュージアムパークになっている。現存する醸造施設が建てられたのは1903年で、牛久醸造場としてであった。そして創建当初からの3棟の煉瓦造の建物、事務室(現・本館)と醗酵室(現・神谷傳兵衛記念館)と貯蔵庫(現・レストラン)が、2008年に国の重要文化財に指定されている。また、その前年の2007年にはこれらの施設が近代化産業遺産に認定され、2020年には山梨県甲州市と共に「日本ワイン140年史---国産ブドウで醸造する和文化の結晶」として日本遺産に認定されている。

 この醸造場をつくったのが神谷傳兵衛(1856-1922)。神谷は当初は輸入ワインを加工した「蜂印香竄葡萄酒」(いわゆるハチブドー酒)なるものを販売して成功していたが、いよいよ本格的にワイン醸造に乗り出してつくったのがこの醸造場である。そのために婿養子の傳蔵をフランスに送ってボルドーで2年間学ばせたという。神谷の期待に応えてこれを設計したのが岡田時太郎(1859or1860-1926)で、岡田は辰野金吾と同郷の唐津藩の出身。またこの頃、岡田の下にいたという森山松之助(1869-1949)も、事務室の意匠と森山の卒業設計が似ていることなどから、この設計に関わっているのではないかと考えられている。施工は不詳。

 この醸造場が今日のように記念館やレストランとして使われるようになるのは1970年代からのことらしいが、いまもビールやワインはつくられているようだ。ただし、名前は牛久シャトーガーデンやシャトーカミヤに変わり、2017年から牛久シャトーとなっている。シャトーの名は、マンサード屋根でシンボリックな塔屋をもつ本館がフランスの城館を思わせることによる。なお、この醸造施設の所有者は、かつての牛久醸造場をルーツにもつオエノンホールディングス(オエノンの名はギリシア神話のディオニュソスの娘で酒造りの女神の名に因むという)であることに変わりはないが、2020年からはその運用は牛久市が出資して設けた牛久シャトー株式会社が担っている。

  以上が来歴であるが、この施設は2011年の東日本大震災で被災し、2016年までを費やして復旧工事と耐震補強工事が行われた姿が現状である。その復旧耐震工事の設計は文化財建造物保存技術協会で、施工は大成建設。重要文化財の修理であるから非常に正統的な修理が行われているが、いくつかの工夫も見られる。なお、醗酵室(現・神谷傳兵衛記念館)と貯蔵庫(現・レストラン)は内部を見ることができるが、事務室(現・本館)は内部を見ることができない。それで醗酵室(現・神谷傳兵衛記念館)を中心にとりあげるが、醗酵室は煉瓦造2階建て地下1階。外観からは耐震補強の跡が見えないが、普通は人が行くことはない裏に回ってみると3本足のロボットのような鉄骨のバットレスがいくつか見られる。小屋組は木造のトラスであるが、2階の随所に鉄骨の梁が挿入され、その梁とこのバットレスをつないでいるという。平家の貯蔵庫のほうには、梁の補強はなく、鉄骨の柱と梁が目立たないように付け加えられている。

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外観。右側が醗酵室(現・神谷傳兵衛記念館)で、左側が貯蔵庫(現・レストラン)の折れ曲がったところ。

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醗酵室の側面の妻面。左側に一部写っているのが新しくつくられたショップ棟。

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醗酵室の背面。鉄骨の3本足のバットレスと、壁につけられた柱で補強している。

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貯蔵庫(現・レストラン)の醗酵室と反対側の外観。

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醗酵室の2階。神谷傳兵衛記念館用の資料が展示されている。随所に鉄骨の梁が見られる。

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醗酵室の地下階。ここにもワイン樽がずらりと並ぶ。

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事務室(現・本館)の外観。ここのシンボルであるが、非公開で残念ながら中がのぞけない。

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醗酵室の1階内部。ワイン樽がずらりと並んで壮観。

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醗酵室の2階。壁側の鉄骨の補強。

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貯蔵庫(現・レストラン)の内部。鉄骨の柱と桁のみの補強で、梁の補強は見られない。

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