吉田 鋼市

​第6回 佐原三菱館

 千葉県香取市佐原は水郷の街として名高く、小野川の両岸に江戸末期から明治期の歴史的な建物がたくさん残され、1996年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されてもいる。その伝建地区の一画にこの佐原三菱館はあり、佐原観光の資料館・研修所・案内所としての「佐原町並み交流館」の一部となっている。

 いまの名は三菱館であるが、もともとは1914年に建てられた川崎銀行佐原支店であった。現にいまもこの建物の玄関上部には「川崎銀行佐原支店」の文字盤が付されている。川崎銀行が佐原に出張所を置いたのはさらに前の1880年のことで、それが1898年に佐原支店に昇格し、より本格的な煉瓦造の銀行建築として建て直されたのがいまの建築ということになる。つまり、「小江戸」で知られる佐原の経済活動は、近代以降も盛んだったことがわかる。川崎銀行は1943年、戦時統合によりに三菱銀行に吸収合併され、それ以降はこの建物は三菱銀行佐原支店となるが、当初は倉庫のような付属屋が置かれていた隣地に1989年、新館が建てられる。その際、この煉瓦造の建物の解体が検討されたようだが、「赤れんが銀行」の名で親しまれたこの建物の保存を望む市民の声が強く、この建物は三菱銀行から佐原市(佐原市が香取市になるのは2006年)に寄贈されることになる。佐原市はこれを観光案内所として使用し、1991年には千葉県の有形文化財となった。しかし、2003年には三菱銀行佐原支店そのものが閉館(移転ではない)、佐原市は閉鎖された新館を買い取り、2005年に「佐原町並み交流館」がオープン。その後2011年の東日本大震災で被災、長い間閉鎖されていたが、耐震補強改修工事が実施され、再オープンに至ったのが2022年である。

 煉瓦造2階建ての佐原三菱館の設計・施工は清水満之助商店。いまの清水建設であるが、清水組となるのが1915年のことであるから、その少し前の仕事ということになる。担当は設計図面から大友弘(1888-1962)と鈴木栄太郎(1895-1986)だということがわかっているという。ともに工手学校の出身で、大友は後に清水建設の設計部設計課長になっている。煉瓦造の開口部廻りなどの要所に石を配したいわゆる辰野式で、規模はそれほど大きくはないのに立派なドームを頂いている。

 そして、これの耐震改修は、耐震診断・設計・監理が坂倉建築研究所、実施設計技術支援と施工が清水建設によって行われている。耐震補強は、小屋裏と二階の回廊に鉄骨が付加され、煉瓦壁の中に鋼棒が挿入されることによって行われた。だから、目にはよくわからない。県の文化財であるから当然であるが、内部も復元的に修理され、すでになくなっていた客溜まりのカウンターも復元されている。2階建てとはいっても、階のほとんどは吹き抜けで、周囲に廊下が回っているのみ。その廊下へ上がる階段は螺旋階段である。この建物は「佐原町並み交流館」の一部となっているが、この建物自体が展示物であって、内部はがらんどう。展示物は1989年建設の三菱銀行新館の方で行われているが、その新館も金庫室などが保存され、交流館自体もかつては銀行であったことがわかる。佐原駅近くにも観光案内所はあるが、こちらの方がより中心的で重要な施設である。

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外観。右が佐原三菱館。左が佐原町並み交流館で、かつての三菱銀行佐原支店新館。

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佐原三菱館の側面。コーナー部分にドームを設ける。腰壁の石積みは、側面の半ばで終わる。

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佐原三菱館の内部。二階は周囲に廊下が回るのみで、そこへは奥の螺旋階段で上がる。左手前に暖炉がある。

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佐原三菱館の内部。2階回廊の持送り。庇下によく見られる金属製のものと思われる。

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佐原町並み交流館の内部。町並みの模型などが展示されている。奥に金庫室がある。

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佐原三菱館。入り口はいまは閉鎖されており、交流館内から入る。入り口上部の表示は、いまも川崎銀行佐原支店。

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佐原三菱館の背面。アーキトレーブの部分には背面にも石が張られている。

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交流館から佐原三菱館に入る入り口部分。当初から付属屋との連絡口であった。木製の階段は新設。

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佐原三菱館の内部。手前が客溜まりで、カウンターの背後が営業室。

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佐原三菱館の内部。暖炉。マントルピースは国産の大理石製だという。