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吉田 鋼市

​第7回 九段会館テラス

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 2022年10月、「九段会館テラス」がオープンした。九段会館の主要部を保存活用して、背後に17階建てのオフィスビルを新築したものである。九段会館は、もともと1934年に軍人会館として建てられた。設計は在郷軍人会によってコンペに付され、小野武雄の1等案をもとに、実施設計は技師長川元良一と技師三日市勝三郎が行った。技術顧問として伊東忠太の名が記されており、伊東は当該コンペの審査員の一人でもあった。施工は清水組。

 戦前は緊張したシーンの舞台となることもあったが、戦後は日本遺族会の運営する九段会館となり、宿泊施設・食堂・結婚式場・宴会場・ホールとして長く使われ続けていたが、2011年の東日本大震災で被災。ホールの天井崩落で死傷者を出して、九段会館は閉鎖、廃業。しばらくのブランクの後、土地・建物の所有者の国が、この建物と場所の歴史的価値を生かした高度利用計画を意図し、二段階競争入札を実施。2017年にその入札を獲得したのが東急不動産と鹿島建設ということになり、翌年に両社は合同会社ノーヴェグランデ(「新しい大会館」の意味と思われるが、少しもじれば「九つの段(ノーヴェ・グラディーニ)」つまり九段ともとれる)を設立している。したがって、この事業の施主はノーヴェグランデということになる。そして、その事業の設計・監理は鹿島・梓設計工事監理業務共同企業体で、施工は鹿島建設東京建築支店である。工期は既存の建物の一部解体の期間も含めて2018年5月から2022年7月まで。なお、工事中の2019年に九段会館は国の登録文化財になっている。

 さて、九段会館の保存された部分であるが、内堀通りに面した東側ブロックと正面入り口側の北側ブロック、つまり機能的にも意匠的にも重要だった部分がL字型に残され、全体のおよそ3分の1が保存活用されたことになる。保存された部分の外観は基本的には保存修理の精神で行われているようで、特異で独特のタイルや瓦も多くが残されて使われている。内部も重要な部分はきちんと保存されている。保存された棟には免振レトロフィットの装置が施され、新築部分と別の構造物としてエキスパンションジョイントでつながれている。背後のオフィスビルは強い主張をせず、そのファサードも九段会館の縦長の三連の窓のデザインに呼応しているようにも見える。内装も保存された部分から今日的な部分へと漸進的に変化していくようにする意図が感じられ、保存棟と新築棟がスムーズに連続しているように見える。建物の北側の部分は「九段ひろば」と名付けられた緑地として整備され、牛ケ淵の堀側にも遊歩道が整備されて歩行者空間となり、多くの人々が憩える場所となった。その「九段ひろば」のパーゴラのデザインも九段会館のデザインを反映しているようにも見える。

 ともあれ、良かれ悪しかれ様々な出来事の場面であった九段会館の歴史がこうしてつながれた。この地は江戸城以来の深い歴史を残しており、地下3階まで設けるための基礎工事には遺構の出現がないか注意され、堀端の石垣の保存などにも留意されたと聞く。成熟した社会の歴史ある場所の工事にはそうしたことがつきまとうものであろうが、とりわけこの場所にはそれが当てはまるであろう。多くの人の尽力によって、90年足らずの近代の遺構もこうして長い歴史につながった。もって瞑すべきであろう。 

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牛ケ淵の堀から見た外観。左手前が保存部分。

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内堀通り側の東側外観。

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玄関部分。手前に見えるのはバリアフリーの設備。

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妻先端の鬼瓦が新築棟と向き合っている。

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「真珠の間」と同じ広さだが天井が少し低い「鳳凰の間」。

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北側の正面入り口部分。高層棟のファサードのデザインが保存棟の窓割りと呼応しているようにも見える。

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外壁細部。大小のタイルが上下交互に張ってあり、凹凸がつくられている。やや明るい色のタイルが取り換えられたもので、もとのタイルにはピンが打ってある。

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もとの屋上の瓦葺き屋根。瓦の色も微妙に違う。右に見えるのがガラスのフェンス。

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最も広大な宴会場「真珠の間」。2枚の壁画と丸く突き出したバルコニーが印象的。

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保存棟から新築棟へと入った部分。雰囲気が漸進的に変わるように意図されているように思われる。「レトロモダン」と称されている。

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