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吉田 鋼市

​第8回 旧網干銀行 湊俱楽部

 兵庫県の姫路市は、城と書写山円教寺ばかりが名高いが、もちろん近代の歴史的な建物も残され活用されている。明治から大正にかけて建てられた陸軍第10師団の煉瓦造の建物群が姫路市立美術館となっているし、1930年に建てられた逓信省姫路別館がレストラン・結婚式場「姫路モノリス」として活用されている。これらは城に近い市の中心部にあるが、ここにとりあげたいのは市の南西部の網干区にある建物。網干区には明治期に建てられ、保存され、公開されているダイセル化学工場の外国人技術者のための2棟の洋館「ダイセル異人館」がよく知られているが、そこからそれほど遠くないところにあるレストラン「旧網干銀行 湊倶楽部」が今回の対象である。

 この建物は木造小屋組みの煉瓦造の2階建てで、その名が示すように当初は網干銀行の施設であった。「湊倶楽部」の「湊」はかつての網干港(いまは姫路港の一部をなす)に因むもので、あるいは人々の憩える場所という意味もあるかもしれない。網干銀行本店だったともされるが、本店は別にあったとの説もあり、レストランの名も本店とは謳っていない。いずれにしろ本店同様の重要店舗であったことは確かのようである。建てられたのは1922年ころ。設計・施工は「田中組」と記すものもあるが不詳。なんらかの建築家の関与はあったものと思われる。網干銀行自体の創立は1894年に遡り、1930年には三十八銀行となるから、この建物の網干銀行としての時期は意外に短い。ついで1936年には神戸銀行網干支店となり、1965年には銀行施設としての使命を終える。

 その後、婦人服飾店「タケダ」(竹田宗之氏経営)として使われた長い時期があったが、その店も2015年に閉店、建物は売りに出される。地元の歴史と景観とまちづくりを研究するグループがこの建物の行く末を心配していたが、帰省中にこの建物が売りにだされていることを知った大学院生によるSNS上の懸念のつぶやきに応じて、大学院生の知人の地元姫路の経営者鵜飼司氏がこれを購入、2019年にレストランとしてオープンしたということで、心温まる話である。なお、婦人服飾店「タケダ」時代の2000年にこの建物は姫路市の都市景観重要建築物に指定されている。

 さて、レストランへの改修であるが、これが復元的に実施されている。婦人服飾店時代には前面にアーケードがあったようだが、それも取り払われてこの建物のシンボリックな外観がより目立つようになった。改修施工は地元姫路の施工会社コンフォートによるものであるが、設計には鵜飼氏の意図が大きく反映しているらしく、鵜飼氏とコンフォートの建築士の共同設計といったところであろうか。煉瓦の壁も補装されずに剥き出しにされたところがたくさんあり、建物の歴史や仕組みを実感しながら食事をするということになる。きれいではないかもしれない壁面を見ながらの食事を嫌う人もあるとは思うが、どうもこちらのほうがリアル感があって好まれるらしい。かつての金庫室も、いまはワインセラーである。ステンドグラスが新たに挿入されたところもあるが、これはまあご愛敬。地元の人の希望と願いに応じた地元経済人の尽力によってこの建物は生き延び、2022年に百周年を迎え、その催しも行われたという。

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ドームの塔屋を戴くシンボリックな外観。外壁はタイル張りで、高い腰は石積み。

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正面外観細部。ペディメント下部のプレートも右から左に記されている。

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1階内部。レストランの主要部分。

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1階の奥の部屋。ここも内壁は剥き出し。

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2階の天井。

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塔屋部分細部。ドームは銅版葺きであるが、他はスレート葺きらしい。

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正面右に新設されたトイレ。外壁の腰のデザインは既存の外壁のものに合わせている。

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1階内部。内壁の一部が剥き出しになっている。木レンガもそのまま見せている。

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ワインセラーとなったかつての金庫室。

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2階の部屋。手摺りのデザインもオリジナルのように見える。

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