吉田 鋼市
第10回 オーベルジュ豊岡 1925
兵庫県の但馬地域の中心都市である豊岡市は広大で、城崎温泉や出石の城下町など市の中心部から離れたところに多くの観光スポットがあるが、中心部にも洋風の歴史的な建物が残されて活用されている。それらはすべて1925年以降の建設になるものであるが、同年5月にマグニチュード6.8の直下型地震があり、市は壊滅的ともいうべき被害を蒙ったからである。これは「北但大震災」と呼ばれるが、関東大震災の2年後のことであった。その震災復興のシンボル的な存在が1927年に建てられた豊岡市役所(原科建築事務所設計、大阪橋本組施工)で、この建物はほぼ同じ敷地内に新しい市庁舎が建てられるに際して2012年に曳家をされているが、リニューアルされていまは「豊岡市役所稽古堂」として健在。その向かいにあるのが、この「オーベルジュ豊岡1925」であり、山陰本線の豊岡駅に発する「大開(だいかい)通」という中心の通りの南北に「豊岡市役所稽古堂」と向かい合って立ち、震災復興のもう一つのシンボルとなっている。
「オーベルジュ豊岡1925」は、「オーベルジュ」という名が示すようにホテル兼レストランである。「1925」は震災の年を示しており、建設年ではない。建てられたのは1934年、兵庫県農工銀行豊岡支店としてであった。鉄筋コンクリートの2階建てで、主屋の背後に付属屋がある。設計は渡辺節建築事務所で施工は清水組。兵庫県農工銀行は1937年に日本勧業銀行に吸収されているから、この建物が兵庫県農工銀行としてあった時期は非常に短い。その後、日本勧業銀行、山陰合同銀行などの支店を経て、2005年からは豊岡市庁舎南庁舎別館として用いられ、2012年からは豊岡市まちなみ交流館となり、そして2015年からは 「オーベルジュ豊岡1925」となったということである。市役所別館時代の2006年に国の登録文化財となっている。
このホテル兼レストランを運営しているのは、歴史的な建物を活用しているバリューマネージメント(VMG)という会社であるが、この会社は同じく全国の古い民家などをNIPPONIA という名のホテルにして運用している株式会社NOTE 、および両社の発祥の地が関西であることもあってJR西日本も加わって、三社で提携しているから、グループで歴史的な建物の利活用をしていることになる。バリューマネジメントもNOTEもリノベーションを担当する専属の建築家を要しているわけではないようで、リノベーションはそれぞれの地方の建築家が担っているものと思われる。この「オーベルジュ豊岡1925」は同じ兵庫県の丹波篠山市の才本建築事務所が関わっており、施工は地元豊岡の友田建設である。
さて、そのリノベーションの模様であるが、あまり手を加えずに自然な形で行われている。金庫室も保存されている。大部分が吹き抜けの高い天井の内部も広々としており、内装も概ね歴史と特産物を想起させるものになっている。柳行李がルーツだという特産の豊岡鞄を積んだ上に置かれた時計は地震発生の時刻を示している。豊岡市まちなみ交流館時代の伝統が引き継がれていることもあるのだろうか。ホテルの客室の内装も梁が剥き出し。少しも派手なところがなく、静かで落ち着いていて非常に好感がもてる。まさに震災復興の生き証人たり得ているものと思われる。
(画像をクリックすると拡大画像がポップアップで表示されます)
大開通側の外観。大オーダーの付柱もあり古典主義様式ではあるがタイル張りであり、屋根も洋瓦葺きのようで、少しスパニッシュ風のところもある。
背面の外観。付属屋には増築部があって、それを取り去った後に新しいタイルが張られているものと思われる。
正面入り口の上部欄間。
二階席。左が吹き抜けの部分。
ホテルの部屋。梁も天井も剥き出し。
側面の外観。隅は石積み。右奥が付属屋。
正面入り口。”HOTEL 1925”と小さく付け加えられた以外は当初のまま。
内部主室。左が正面入り口、右に二階がある。中央に見える街灯は昔の街灯であろうか。
別室。テーブルも歴史を感じさせる。
金色の豊岡鞄が5個積まれて、その上の時計は地震発生の時刻11時11分を示している。