

吉田 鋼市
第11回 河南ビル
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神戸の三宮駅と元町駅の間を南北方向に走るトアロードと三宮本通商店街が交差する角地にこの河南(かわなみ)ビルはある。建てられたのは1935年ころとされ、鉄筋コンリート造3階建て地下1階で、アール・デコの感覚が溢れる商店建築である。表面にはベージュ色のタイルが張られ、ファサードの2階の中央に何段かに沈めて置かれた鱗模様の縁の看板表示があり、3筋の帯模様の中に置かれた対の円窓がある。円窓は側面のファサードにも同じものが一つあり、加えて異なるタイプの円窓が3つ連続で置かれている。さらに内部の階段の側壁に、きわめつきとも言うべき円弧と直線を組み合わせた複雑な模様の鉄細工を伴った円形開口部がある。設計は原科建築事務所で施工は竹中工務店。原科建築事務所は原科準平(1881-?)が1920年に神戸に開いた設計事務所。工手学校卒業の原科は静岡県の出身であるが、神戸との関わりは大蔵省臨時建築局神戸支部勤務以降であり、やがて神戸に事務所を設けることになった。兵庫県内を中心に仕事をしており、「オーベルジュ豊岡1925」のところで少し触れた豊岡市役所(1927年)もこの事務所の設計による。
河南ビルは、輸入アンティークインテリアを販売する河南工芸社の店舗として建てられ、長い間、その工芸社の店舗であったが、2019年に店舗は閉鎖。そして2021年に大阪に本社を置き、全国に展開している女性ファッションの企業「Mother’s Industry 」の神戸店となった。この企業の主力品のブランドが”mizuiro ind”であり、いまは”mizuiro ind”の店として知られている。河南ビルと「Mother’s Industry 」を結びつけたのがリーフクリエーションという名の不動産活用・売買の地元の会社で、リノベーションの設計はこの会社が行ったものと思われるが、「Mother’s Industry 」のファッション・デザイナーも様々な提案をしたという。施工は地元の山田工務店。”mizuiro ind”のキャッチコピーに「飾らない人(Simple)、自分らしく服を楽しむ人(Ageing)、こだわりのある人(Personal)に向け、シンプルでコーディネイトしやすいJapanese Tradを提案する」とあるが、さて、このビルのリフォームはこのキャッチコピーと呼応しているであろうか。
側面も含めてファサードはよく保存されている。ただし正面ファサードの1階は、ほぼガラス張りに変えられている。といいつつ中央の入り口の木製の扉は残されており、側面のタイル張りの壁もガラスにくっつくように迫っている。内装もあまり手を加えられず、天井の塗装もそのまま。まさに「飾らない」「シンプル」「こだわりのある」精神そのままである。正面ファサードのガラスに変えられた部分の上に残された壁は、ガタガタに不揃いにカットされて剥き出しのままに置かれ、放置されているようにも見える。ここまでやるかと驚かされたが、建築の部材もテクスチャーも服装の生地や色と呼応すべきだという主張であろうか。既存の壁の要所は鉄骨のブレースで補強されているようであるが、それは見えないようになっている。殺風景ともいうべき内装で、目を引いたのが内部の奥の柱の下部がタイルなどで補修されていることで、その塗装は”mizuiro”ならず、草色。ともあれ、1930年代の典型的な商店建築があまり手も加えられず自然な雰囲気で残されたのであり、同慶の至りである。

トアロード側の外観。左側は三宮本通。看板はいまも「河南工藝社」であるから、ビルのオーナーはいまも同じなのであろう。

正面入り口の保存された木製の扉。

内側に残る正面ファサードの壁。鉄筋も2本突き出している。

内部1階。階段の側壁に円形の開口部。手前の柱の下部が補修されている。

階段側壁の円形の開口部。

三宮本通側のファサード。四角の窓の上部欄間に微妙な鉄細工が見られる。

正面ファサード1階のガラスに側面の壁が迫る。

内部1階。天井の塗装も手を加えられていない。

内部2階。やはり天井や梁には手を加えられていない。

2階に至る階段。通用階段ではなく客も使うメインの階段。