吉田 鋼市
第12回 郵便名柄館
奈良県御所(ごせ)市は、奈良県と大阪府と和歌山県の県境が交わるところの近くに位置するが、名柄はその御所市の中心からも少し離れたところにある集落であり、二つの主要街道が交差するところにあって、古くから宿場町として栄えてきた。いまも豪邸ともいうべき伝統的で立派な建物がいくつも見られる。その伝統的な歴史のある街並みにポツンと入り込んでいるのが、この洋風の「郵便名柄館」である。寄棟瓦葺き、下見板張りの木造平家で、1913年に名柄郵便局として建てられた。設計・施工は不詳のようだが、地元の大工によって建てられたものと見なされている。「郵便名柄館 Tegami cafe」と名付けられ、カフェ・レストランを兼ねた郵便資料館として2015年にオープンした。歴史のある郵便局の建物をカフェ等にして活用を図った同様な例は、兵庫県福崎町に「妖怪ブックカフェ」という名付けられたもとの辻川郵便局がある。これも大正期1923年の建物で、「妖怪」と「ブック(本)」は福崎町が柳田国男の故郷だからであるが、これも行って見たが休館中であった。郵便名柄館のほうは健在で、いまも多くの人がランチ(地元のコメと野菜を用いた「テガミランチ」)を食べに訪れているようである。行った際にも、タクシー2台に分乗して来られた数人の老婦人のグループに出会った。
名柄郵便局が郵便名柄館になるに至る経緯も話題性に富んでいる。1975年に200メートルほど離れたところに新しい郵便局ができてからは、この建物は長く空き家だった。しかし、地域の人々の建物の存続を願う思いは強く、「局舎設立100周年」を期に、この建物の再生プロジェクトが始まった。建物の所有者は隣家の池口家であり、同家から御所市に無償譲渡されたが、池口家は作家堺屋太一(1935-2019本名は池口小太郎)の実家であった。堺屋の生まれは大阪であるが、小・中学校の一時期を名柄で過ごしたという。そうしたこともあり、このプロジェクトに果たした堺屋の役割は大きいようで、この建物再生と同じ2015年に始まり、この建物が応募先となり表彰式もそこで行われている「はがきの名文コンクール」の実行委員代表も彼が務めている。また、背後の敷地が整備されて「郵便庭園」となっているが、その中央に置かれた郵便配達夫の像の台座にも彼自身の詞が刻まれている。
実際に建物の歴史的な調査を行ったのは郵政博物館と日本郵政株式会社近畿施設センターで、改修設計は奈良県にある畿央大学の三井田康記研究室。御所市も設計・施工監理を行っている。施工は地元御所市のゴセケン(かつての名は御所建設)。この建物は、「郵便庭園」も含めて2016年に奈良県景観デザイン賞を受賞している。
さて、その改修ぶりであるが、おそらく復元的に行われたのであろう。1963年までは電話交換業務も兼務していたので、その電話ボックスも復元されており、かつての郵便局の雰囲気を残しつつ快適なカフェのスペースがつくりあげられている。外壁はピンク色に塗られているが、これは人々の記憶によるものという。内装はほぼ真っ白。入り口付近や壁際に、郵便物を運んでいた人車や木製ポストや古い絵葉書などの郵便資料が展示されている。
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古い街並みに入り込んだ外観。奥の隣が堺屋の実家らしいが、手前の家も池口家。一番奥に見えるのは寺院。
正面入り口。”closed”とあるのは、開店時刻の前だから。
庭園側の外観。
内部。壁周辺に郵便資料が展示されている。
「公衆電話」のボックスが設けられている。電話機は左手で受話器をあて、真ん中で話すタイプのもの。
外観。手前の壁に由緒を記した掲示板がある。
入り口の庇下部の垂れ飾り。
「郵便庭園」。郵便配達夫の立像の台座に堺屋の詞(「郵便は 歓びをつたえる 絆をふかめる 思い出をつくる それは今も ここにある」)が刻まれている。
内部。左が庭園側。奥がカフェの厨房。
上げ下げ窓に、天井から吊り下げた照明器具。