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吉田 鋼市

​第13回 洲本市立洲本図書館

 近代日本の繊維産業を支えた企業の一つ、鐘淵紡績(カネボウを経て現在クラシエ)の発祥の地は東京であるが、1900年に兵庫県淡路の洲本市にも大きな工場を設けて進出する。1896年創立の淡路紡績を吸収合併したもので、既存の工場を第一工場とし、第二工場以下、第五工場まで次々に煉瓦造の新しい工場を建てていく。それらの煉瓦造工場群は1986年に営業停止に至るが、洲本市とカネボウによる官民一体の事業として一部の建物が保存活用され、洲本市民広場を形づくり、往時の活力あり同時に優雅な景観をしのぶよすがとなっている。また、残された建物の存在が、周囲に新築された公共建築のデザインにも影響を与えているようにも見え、興味深い。

 保存活用されたのは、いずれも1909年竣工の第二工場の本館の一部と汽缶室と原綿倉庫、それに1920年竣工の第三工場汽缶室。これら四つの建物群は、現在、アトリエ、ギャラリー、レストラン、特産品販売店などとして用いられている。いずれも煉瓦造の平屋もしくは2階建て(一部4階)であるが、1909年のものは小屋組が木造、1920年のものも主体は木造であるが一部は鉄骨造で、同じ煉瓦造といっても構造的な発展の跡がうかがわれる歴史的な史料ともなっている。これら四つのうち、ここで取り上げるのが、第二工場の本館の一部をコンバージョンして市立の図書館にした洲本図書館で、それまで公民館の一部にあった図書館を移転させたものである。

 洲本市立の図書館にはもう一つ五色図書館があるので、正確には洲本市立洲本図書館となる。煉瓦造平屋で、竣工は既述のように1909年。設計は横河工務所で、施工は竹中工務店。図書館へのコンバージョン工事の竣工は1998年で、設計は鬼頭梓建築設計事務所(担当は佐田祐一)で、施工は同じく竹中工務店と地元洲本の柴田工務店。実は、この洲本図書館は、保存活用された四つの煉瓦造建物群の中でも、単純に判断すれば最も保存度の低いものであり、それに保存活用された時期もこのシリーズで取り上げているものより少し遡るものであるが、保存活用の歴史をふりかえる際の実例としても興味深いのでここにとりあげた次第である。

 保存度が低いとしたのは、おそらく木造の鋸屋根であったろうオリジナルの屋根架構をすべて撤去しているからで、極端にいえば煉瓦の壁しか残していない。煉瓦の壁の中に鉄筋コンクリート造のボックスを容れこんだような形になっており、ここでは煉瓦はその素材のテクスチャーのみが重要視されているように見える。図書館としての機能と構造が優先されたためであろう。煉瓦造の部分の開口部に補強されたコンクリートのフレームもかなりごつい。しかし、解体された部分の煉瓦は、随所に再利用されており、図書館の前庭にはその煉瓦が敷き詰められている。不思議な魅力をもつ入り口の高い煉瓦造のブロックも保存されている。煉瓦造の建物の魅力は、単に煉瓦の質感と色彩に基づくだけのものか、その重厚な躯体のボリューム感によるものか、あるいはまた一時代の主力となった構築物の歴史性によるものなのか、煉瓦造の力の根源を考えさせられる事例である。

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正面外観。手前が市民広場で、左奥が旧・汽缶室。中央に見える高い無窓のブロックが不思議な魅力をもつ。

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背後の塀。塀を自立させるために上部にコンクリートの横架材をまわし、タイロッドでつないでいる。

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解体で残された煉瓦の再利用による塀に設けられた開口部。これを微笑ましいと見るか、やり過ぎと見るか。

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前庭から新築部分を見たところ。地面には解体時に残した煉瓦が敷き詰められている。

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内部。煉瓦造の壁を残したためか、より多くの採光のために天井はトップライト。

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側面外観。所々にコンクリートのフレームを備えた開口部を設けている。新築部分の仕上げの色彩は煉瓦造に呼応させたか。

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前庭から見た正面入り口。打ち放しコンクリートの力感を示そうとしたか。

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裏庭。煉瓦造の塀で取り囲まれているのがわかる。

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内部。煉瓦造の壁と鉄筋コンクリートの構造体の取り合いの部分。

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内部。煉瓦とガラスの競合。

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