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吉田 鋼市

​第14回 舞鶴赤れんがパーク

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 京都府舞鶴市を旅行していると、しばしば古そうな赤煉瓦の建物に出くわす。おそらく、これらもすべて旧・海軍舞鶴鎮守府に関わるものであろうが、大きな赤煉瓦の建物が集中的に見られる場所が、市役所のそばのかつて海軍軍需部本部があったところ。舞鶴鎮守府の開設は1901年であるが、そこにはそれ以降に建てられた明治期から大正期にかけての煉瓦造の建物が12棟あり、それらが「赤れんがパーク」を形成している。12棟のうち8棟が2008年に国の重要文化財に指定され、そのうち5棟が内部も公開され、様々な活動の場所となっている。

 公開されている5棟は、まず1号棟がもとの魚形水雷庫でいまの赤れんが博物館。1903年の竣工で、改修後の開館が1993年。2号棟がもとの予備艦兵器庫でいまの舞鶴市政記念館。1902年の竣工で、改修後の開館が1994年。3号棟がもとの弾丸庫並小銃庫でいまのまいづる智恵蔵。1902年の竣工で、改修後の開館が2007年。4号棟がもとの雑器庫並預兵器庫でいまの赤れんが工房。1902年の竣工で、改修後の開館が2007年。5号棟がもとの軍需部第三水雷庫でいまの赤れんがイベントホール。1918年の竣工で、改修後の開館が2012年。これらは、いずれも舞鶴市の所有で、公開されていない重要文化財の残る3棟が国の所有。これらの煉瓦造はいずれも2階建て、小屋組は1号棟のみ鉄骨で、他は木造のトラス。規模としては5号棟が最も大きく、1号棟が最も小さい。2・3・4号棟はその中間の同形同大で、川の字型に3棟並んで建つ。国所有の3棟も同形同大で、これは縦列に並ぶ。これらの建物の設計は臨時海軍建築部支部および舞鶴鎮守府経理部建築科で、担当者は橋本平蔵や武藤貞吉らだとされており、施工は直営だという。

 そして、それぞれの棟をどこが改修を行ったかについては調べ切れなったが、わかったことを記すと、1号棟は設計が乃村工藝社と舞鶴市で、施工が地元の藤本工務店。3号棟は設計が(財)建築研究会で、施工が竹中・西建・カモタ特定建設工事共同企業体。2号棟の改修設計はマツダコンサルタンツらしい。4・5号棟の改修設計は文化財保存計画協会で、5号棟の施工は地元の坂根工務店らしい。

公開されている5棟は、既述のように1993年から2012年にかけて保存活用されてきたわけであるが、それぞれの棟にそれぞれの担当者があり、一貫したデザイン・ポリシーは感じられない。全体を通して対応してきたのは舞鶴市であろうが、市自体も最も良い方法を模索してきたということであろう。大雑把にいえば、1・2号館は訪問客向けの少し華やかな意匠をも加味しようとし、4・5棟はより地味な保存を優先し、3号棟はその中間といえるであろうか。たとえば1号棟のゲートはやや遊園地のもののようでもあるし、2号棟は入り口にガラスの破風を設け、屋根にドーマーウィンドーを付け加えている。つまり、このこの5棟の20年間の改修の変化が時代の変化そのものを表しているようで、興味深い。時代は、単にノスタルジックな情緒と雰囲気を味わうところから学術的でリアルな歴史そのものを尊重するという方向へと変わってきたと言えるであろう。

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「赤れんがパーク」の入り口部分。左が5号棟、右に三つ並んでいるのが右から順に2・3・4号棟。

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左が3号棟、右が4号棟、奥が5号棟で、このスポットからの写真がよく撮られている。

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雨水を受ける樋受け石も多くはそのまま使われているが、時に忠実に復原されている(写真は3号棟)

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5号棟の内部。煉瓦の柱と木の梁と鉄のクレーンと補強の鉄骨のコラボレーション。

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3号棟内部。新設されたエレベーターと階段。

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2・3・4号棟。倉庫の前に鉄道の線路が敷かれており、レールは倉庫の中まで通っている。2号棟妻面入り口にはアール・ヌーヴォー風の庇が付け加えられている。

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2号棟。入り口にガラスの破風が付けられ。ドーマーウィンドーも付加されている。3号棟と連絡する屋根付きの通路が設けられている。

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5号棟の内部。中をレールが通っている。5号棟は最も大きくて外観のプロポーションは少し不恰好だが、イベントホールの故か、内部はあまり付加された備品がなく、力強い。

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3号棟内部。あまり手が加えられていない部分。

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2号棟内部。ステンドグラスが付加されている。

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