吉田 鋼市
第15回 旧 山崎家別邸
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重要伝統的建造物群保存地区にも選定されている川越の蔵造りの町並みには、歴史的な洋風建築も点在し、それが意外と多く存在感をもっている。第八十五銀行本店(1918年)が埼玉りそな銀行川越支店として、そして武州銀行川越支店(1928年)が川越商工会議所として使われているし、六軒町郵便局(1927年)だった建物がイタリアンレストランとなっているし、もともとレストランだった太陽軒(1929年)もそのままレストランとして健在。これまたもともと歯科医院だった建物(1913年)が同じく中成堂歯科医院として継承されており、ファサード前面を銅版張りにした看板建築(1930年)も「手打ちそば百丈」として用いられている。しかもこれらのほとんどが国の登録文化財である。
なかでも驚いたのは、もともとデパートだったところが歯科医院になっていたこと。1936年竣工の山吉(やまきち)デパートである。これはいまも山吉ビルで、歯科医院はテナントということになるが、少なくとも外観はよく保存修復されている。標示されたプレートには、2008年に行われた修復工事で、設計は守山登建築研究所、施工は川木建設株式会社とあり、いずれも地元川越の組織のようである。3階建ての今日からすれば非常に小さなデパートであるが、はなはだ興味深いと思いつつ、さすがに中をウロウロするわけにはいかなかったので、ここではいまは川越市の施設になっている旧山崎家別邸をとりあげる。
旧山崎家別邸は、老舗の菓子店「亀屋」の五代目、山崎嘉七(1869-1927)の隠居所として1925年に建てられた。中央通りを挟んで逆側のほど遠からぬところにある本宅は蔵造りで、その一画は四代目を顕彰する山崎美術館となっている。別邸の設計は保岡勝也建築事務所で、施工は川越の印藤順造(1884-?)。保岡勝也(1877-1942)は東京の出身であるが、五代目の知遇を得て、川越に四つの建物を設計しており、先述の第八十五銀行本店も山吉デパートも彼の設計になる。また、第八十五銀行本店の施工も印藤順造である。
この建物は、2000年に川越市指定文化財となっており、2006年にその敷地を川越市が買い取り、建物は寄贈されて保存され公開されることになった。保存修復はプロポーザルに付されて、協同組合伝統技法研究会が実施。施工は地元川越の会社である小建で、庭園の保存整備も地元の田島造園。保存修復工事の竣工は2015年。その少し前の2011年に庭園が国登録記念物名勝地となりなり、ついで建物が2019年に国の重要文化財となっている。
この建物は和洋折衷の木造2階建ての住宅で、どちらかと言えば和風部分が主。洋風部分は玄関周辺に限られるが、それでもかなりのスペースを占め、玄関側から見れば全体が洋風とも見える。保存修復は指定文化財であるから当然とはいえ、非常にオーソドックスなやりかたである。階段室のステンドグラスは小川三知の作品らしく、別府七郎の仕事も見られるという。庭園内には茶室も設けられており、これも保岡勝也の設計であるが、仁和寺の我前庵の写しという。我前庵は如庵の模写であるから、この茶室のルーツは如庵ということになるだろうか。保存修復の時期と同時に管理棟が新築されているのだが、これはプロポーザルと関係がないようだが、旧山崎家別とはまったく無関係につくられていて少し残念。
北側のアプローチ側の全景。右側が洋館部。
洋館部の南側の庭園側。ベランダが張り出している。
庭園側の全景。和館部は平屋。
玄関部分の内部。
内部、階段室周辺。2階は非公開。
西側の玄関部分。富豪の別邸としては質素で軽快。
玄関部分。別邸の故か、やや自由でラフな感じがする。
庭園内の茶室。
内部、客室。
管理棟。オーダー柱は別邸の雰囲気とは無関係。