吉田 鋼市
第16回 旧 観慶丸商店
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石巻の中心街でもあり旧北上川の河岸にも近いところにある旧観慶丸商店は、実にユニークな外観をもった建物である。木造の3階建てだが、これが木造だとはにわかには見えない。角地に立っており、コーナーを丸くした二面のファサードの全面に種々様々なタイルが張ってある。まるで、壁自体が陶器タイルの展示場。それも道理で、この建物は観慶丸陶器店・石巻物産陳列所として建てられたのである。1・2階が陶器店、3階が物産陳列所である。つまりは、主として陶器を販売しつつ、他の洋品やレコードなども扱うデパートのような存在だったことになる。ただし、背後には和風の木造の棟もあり、住居も兼ねていたと考えられる。
この建物には棟札が残されており、そこには「昭和四年春三月起工 同五年春四月落成 主 須田幸一郎 三十九才 棟梁 須田栄三郎 六十三才」と記されているという。したがって、1930年の竣工で、施主が須田幸一郎、設計・施工は須田栄三郎ということになる。栄三郎は幸一郎の叔父にあたるという。設計を幸一郎とする説もあり、あるいはファサードの陶器タイルの横溢をもってそう考えたくもなるが、幸一郎の意向をしっかり汲み取って栄三郎が設計したと考えるのが自然であろう。観慶丸という名は、江戸時代から「奥州随一の湊」として知られた石巻の廻船業者が使っていた千石船の名前で、幸一郎の先々代の幸助がその名の船の船頭だったことによる。船頭には帆待ち荷物で商売することが許されていたようで、幸助が船頭のかたわら陶器店を開店。当初の名前は須田屋であったが、幸助が船を降りて船頭を止めた時であろうか、船の名に因んだ観慶丸商店となる。1939年、幸一郎はこの建物を弟に譲って、自らは100メートルほど南の場所に観慶丸百貨店を建てる。これ以降、観慶丸商店は陶器専用の店舗となる。観慶丸百貨店のほうの建物自体は建て替えられているが、この場所にいまも観慶丸本店がある。
旧観慶丸商店のその後であるが、2011年の大震災で1階は浸水したが建物は無事。ついでながら、向かいに立つ鉄筋コンリート造3階建ての葛西萬司設計の旧・東北実業銀行石巻支店(1925年)も無事で、いまも第二SSビルとして健在。大震災の2年後の2013年に観慶丸商店は石巻市に寄贈され、市はこれを石巻の繫栄のシンボルとして保存活用することにし、2015年に石巻市の指定文化財とし、耐震改修工事を経て、2017年より石巻市の展示室・文化交流室「旧観慶丸商店」としてオープンに至っている。これを運営しているのは、震災復旧時に設立された一般社団法人「ISHINOMAKI 2.0」。改修工事の設計は文化財保存計画協会で、施工は山形市に本社を置き仙台支店もある株式会社たくみ。
さて、改修後の状況であるが、1階が貸しスペース、2階がこの建物の歴史を語る資料などが見られる展示スペースである。ただし、ユニークなオーダー柱がある3階は残念ながら使われていない。荷重の制限でもあるのだろうか。耐震補強は鉄骨の柱・梁・ブレースによって行われており、鉄骨と木造のコラボレーションが見られる。この鉄骨の補強により、イベントのための広いスペースが維持されている。改修自体は、その跡がわかるような自然な形で行われている。
道路側外観。全面にタイルが張ってあり、お伽の国の館という雰囲気もある。
側面外観。右側は和風棟で、住居として使われたと思われる部分。
正面のコーナー部分の細部。考えて見れば、庇の洋瓦も陶器であるから、これもまたタイルのようなもの。
1階内部。鉄骨の柱・梁が木造の柱・梁と重なるように並んでいる。
配電盤もそのまま見せている。
2階内部。オリジナルの階段であるが、ダイナミックで不思議な構造をしている。
外壁の腰壁の部分。竹を模したようなタイルも見られる。
入り口部分の袖壁。仕上げをせずに構造を見せている。
2階の展示スペース。もともとは格天井だったことがわかる。
3階内部。中央にオーダー柱が見られる。奥の二つの円がコーナーにとりつけられた丸窓。