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吉田 鋼市

​第17回 塩竃市杉村惇美術館・塩竃市公民館本町分室

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 塩竃の中心、本町(ほんまち)通りの北側の丘には塩竃神社があるが、反対の南側の小高い丘の上に、この塩竃市杉村惇美術館・塩竃市公民館本町分室はある。当初は塩竃市公民館として、1950年に建てられた。2階建てで、1階は鉄筋コンクリート造、2階は木造らしい。戦後まもなくの時代の先端を行く公共建築である。7年後の1957年に木造平屋の大講堂が増築されて公民館と一体の施設となるが、この大講堂は木造でありながら集成材による懸垂曲線のアーチをかけた非常にユニークな建物である。

 公民館の施工は鎌田工務店とされており、大講堂の設計は、当の大講堂に展示されている構造図面と矩計図には「一級建築士 松本治男」とあるから、彼が設計したものと思われる。公民館の2階も曲面のヴォールト天井となっているから、あるいは彼が設計した可能性もある。ただし、彼の事務所の住所は沼津市である。

 展示されている矩計図にはまた、「特許編板建築法 発明者 都築好郎」とも記されており、木造集成材によるこの斬新な建物が「都築好郎」のアイデアによるものであることがわかる。大講堂には、この構造図面に加えて、「都築市三」による特許申請に関わる文書が掲げられている。それは集成材によって簡易的にヴォールト構造をつくろうとする新案に関するもので、1951年に出願され、翌1952年に認められている。この文書の内容はこの大講堂とは直接関係しないようであるが、市三が好郎の同族の先駆者であることを示そうとしたものであろう。

 都築市三は1922年に中央工学校建築科を出て鉄道省に勤務、東京で自営の後に、沼津に居住している。彼は多くの特許を取っており、発明家でもあった。さらにもう一つ、件の図面には「宮城県塩釜第三中学校 体育館設計図」とも記されているから、この大講堂が体育館の目的で設計されたことがわかる。ちなみに、この公民館のある場所は1873年に塩竃小学校が発祥したところであり、その後身、塩竃第一小学校は少し場所を移動して、いまも公民館のすぐ南西部にある。

 1976年に別の場所に新しい公民館が建てられた後は、この建物は塩竃市公民館本町分室となったが、2013年に市の有形文化財に指定されている。そして翌2014年に、塩竃市杉村惇美術館に模様替えをした。東北大学教授も務めた塩竃ゆかりの洋画家、杉村惇(1907-2001)の作品を展示する美術館となったのである。ただし、公民館全体がその美術館になったのではなく、他の展示に使われているスペースもあり、もともとあるいくつかの和室も保持されている。美術館にする際の改修設計は、仙台の鈴木弘人設計事務所と東北芸術工科大学の竹内昌義研究室・馬場正尊研究室。施工は地元塩竃の鈴木工務店。

 さて、その改修のやり方であるが、大きく改変することなく自然に行われている。そしてまた、豊かではなかったであろう創建時の時代の雰囲気を保ちつつ行われている。とりわけ、大講堂は注意深く行われているようで、集成材によって架けられた6つのアーチのうち、一つのカバーの片面はガラスになっていて、中の集成材が見えるようにされている。たしかに、これを見ないと木造のアーチであることがわからないであろう。

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東側外観。1階部分に張ってある石は「塩竃石」だという。右の奥に大講堂の曲面屋根が見える。

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南側外観。公民館と大講堂の間は中庭風になっている。右端に見えるのが新設のエレベーター。

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1階内部。中庭に面する部分。天井は木造であるから、実際は鉄筋コンクリート造と木造の混構造であろうか。

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2階の和室。この部屋には床の間もある。

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大講堂。アーチの一つ。中の集成材が見えるようにガラスのカバーがかけてある。

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大講堂の外観。屋根はいかにも薄い。

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美術館内部。天井は木造の曲面天井。

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新設のエレベーターの2階部分。

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大講堂。この懸垂曲線のアーチが6つある。

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大講堂。アーチの立ち上がり部分の細部。

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