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吉田 鋼市

​第19回 TETUSIN DESIGN RE-USE OFFICE

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 九州大学箱崎キャンパスの伊都キャンパスへの移転は2018年に完了したようだが、モニュメンタルなもとの本部事務棟と工学部本館の2棟の一画が保存されて箱崎サテライトとなり、総合研究博物館や大学文書館として公開され、この一画の門や門衛所などの整備工事がいまも行われている。逆にいえば、この2棟周辺以外はすべて解体・撤去の止む無きにいたったわけだが、実はもう1棟、ごく普通ではあるが、キャンパスには欠かせない施設であった建物が部分的に移築されて新しい用途の建物となり、かつてのキャンパスの記憶をエキセントリックな形で伝えている。それがこのTETUSIN DESIGN RE-USE OFFICE、カタカナにするとテツシン・デザイン再利用事務所で、「テツシン」はこの事務所の主宰者、先崎哲進氏の名前に因むものと思われる。この事務所は半ばは個人の住宅であるが、主にはオフィスであり、そのユニークさ故にとりあげるのも許されるであろう。

 この2階建ての建物は、驚くなかれ、切妻の面の半分を垂直に切り取って、切り取った半分は鉄骨の骨組みだけになっている。大胆というか、アクロバティックというか、人を仰天させるに十分である。しかも敷地は、由緒ある筥崎宮の参道わき。もともとは現敷地より800メートルほど北方にある九大箱崎キャンパスの隅にあった1928年創建の木造2階建ての学生食堂であった。設計は九州帝国大学建築課で、残された図面には技師の欄に「小原」の押印が見える。九大キャンパスの父ともいうべき倉田謙(1881-1940)はまだ課長として在職していたが、この頃新たに小原節三(1897-1953)が技師として加わっていた。この建物はその後いくどか用途をかえ、解体前は松浜厚生施設と呼ばれる大学生協の施設であった。解体は2019年で、デザイン事務所としての竣工は2021年。設計は平瀬有戸・平瀬祐子両氏が主宰する福岡の建築事務所「yHa architects」で、施工は同じく福岡のイクスワークス。この仕事はデザイン事務所と建築事務所双方の密接な共同によってなされたものと思われる。

 切り取られなかった方のファサードは、解体の際に大学から譲り受けたというかなりの量の部材を使って忠実に復元されている。これを設計者は「選択的移築と再構築」と呼んでいるが、部材も調査しつつ「選択的」に選んだということであろう。その際に、半分は切り取るのであるから、部材も半分でよいと考えたか。そもそも、この半分の「再構築」の発想はどこから来たか。先述のオリジナルの設計図面に妻面の右半分が立面で、左半分が断面図となっているものがあり、意外とそういう身近なものが参考になったかもしれないが、それにしても異色。これをポスト・ポストモダン的なクリティカルな表現とするか、単なる話題づくりとするか。設計者はまた、最近しばしば語られるようになっている美術史・建築史上の概念「スポリア」をもって、これをスポリア的な営為ともする。スポリアはもともとは貴重な石材の再利用であるが、戦利品の証でもあり魔よけの意味も託されたようであるから、もちろん木材にもスポリアは可能であろう。それに、オフィスの庭にも箱崎キャンパス周辺からとられたとおぼしきオブジェが散見される。この建物の関係者は九大と特段に関わりがあるようには見えないが、地域の記憶の継承はそこに住む人すべての仕事、あるいは責務だということであろうか。

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正面外観。手前に見えるのは、かつての箱崎キャンパスの門柱の一部と思われる。

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撤去された左側の部分の鉄骨骨組み。煉瓦は箱崎キャンパスにあったものか。

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側面外観。鉄骨骨組みがなければ普通の事務所兼住宅とも見える。

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事務所内部。旧材は使われていない。

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かつての下見板と思われる板で囲われた花壇。

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右側半分と側面。1階が事務所で、2階は住宅。

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妻壁の上部。小屋裏のアーチ窓も半分になっている。

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妻側入り口。ドアは新材となっているが、下見板は旧材で、金属の持ち送りもオリジナルのものと思われる。

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事務所に移されたオリジナルの部材。かつての受付の窓口か。住宅部分にも階段親柱などオリジナルの部材が移されているらしい。

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箱崎キャンパスの門柱だったと思われる煉瓦造構築物。住所表示の「箱崎六丁目10」は、いまも箱崎サテライトの住所と同じ。

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